大庭中尉の謎


先月(2002/10)防衛研究所の資料閲覧室に251空の行動調書を閲覧しに行きました。
残念ながら、5〜6月分は補修に出されていて閲覧できませんでしたが。
8月から9月1日に昼戦隊が解散するまでを見ることができました。

中部ソロモンに主戦場が移ってからの251空の昼戦隊の行動内容は
市販の文献には本当に出てこないものですから。
よかったです、本当に行ってよかった。
20年の疑問が解けました。

それで見ていると、8月初めの編隊の指揮官は、ほぼ毎回、林喜重中尉がとっています。
これは、ある程度予測がついていました。
つい最近出版された582空の主計士官の方の手記(私の感想)に251空の生き残った最後の分隊長である鴛淵中尉が当時マラリアで入院していたことが書いてあったからです。
そうなると、残りの搭乗員の中での最上級者は分隊士の林中尉となります。
ただ、251空の生き残り分隊士には他にも経験豊富な二人、磯崎千利少尉と近藤任飛曹長(8月中の出撃回数13回,編隊の指揮官としての出撃無し)がいましたから、ここまで徹底して林中尉が空中指揮をとっているとは思いもしませんでしたけれども。(8月中の出撃回数10回)

ところが、8月9日のツルブ輸送兼移動哨戒に現れた8人の新顔メンバーの中に思いもしなかった名前が表れます。

大庭良夫中尉です。
これには、驚きました。
8月中旬には豊田耕作飛曹長が補充搭乗員を連れてやってくることは、渡辺洋二氏の『局地戦闘機 雷電』に書いてありましたから。
そのうち新しい名前が現れることは予期できていました。
しかし、それがなぜ、大庭中尉なのか???。

大庭中尉は当時南東方面に展開していた戦闘機隊のひとつ201空の搭乗員として、この年12月23日に戦没されています。
有名な方ですから、色々な本で紹介されています。
例えば『日本陸海軍航空英雄列伝』には「8月分隊長として第201航空隊に配属され、激戦のソロモン戦線に進出、ブーゲンビル島ブイン基地より連日の進攻作戦、基地迎撃戦に指揮官として出撃、健闘した。」と紹介されています。

大庭中尉はその後、頻繁に編隊の指揮官として出撃を繰り返しています。(8月中の出撃回数16回)
他に豊田飛曹長(8月中の出撃回数16回全て編隊の指揮官としての出撃)や有田位紀上飛曹(8月中の出撃回数17回,編隊の指揮官としての出撃8回)が編隊の指揮官として出撃する状況が8月31日まで続きます。
そして、大庭中尉の登場直前の7日を最後に林中尉は一度も出撃していません。

繰り返しますが、なぜ大庭中尉が登場するのでしょう?。
考えられるのは2通りです。
まず、大庭中尉が251空の補充として南東方面にやってきて、251空の昼戦隊の解散と共に201空に転属したもので、201空の生え抜きではなかったのかもしれません。
同じ日に現れたほかの7人と共に豊田飛曹長達とは別系統の補充だったのでしょうか。
もしくは201空からのレンタル指揮官だったのでしょうか?。
林中尉はなんらかの原因で出撃できなくなったのでしょうから。
残る士官搭乗員は磯崎少尉だけとなりますが、実は、その磯崎少尉は
8月の出撃メンバーに顔をあらわしません。
磯崎少尉もまた、出撃できない状況にあったのでしょう。
かといって251空に編隊指揮官の適任者が払拭したわけでもなく
准士官搭乗員には近藤任飛曹長や同じころ増援としてやってきた豊田飛曹長。
下士官にもベテランの有田上飛曹が増援でやってきていますし。
有名な西沢広義上飛曹もいます。

この時点ではほとんど実戦経験のない大庭中尉よりも適任なはずですが。
編隊の指揮官は士官でないといけないと拘る上官がいたのかもしれません。
そうだとしたら疑問が残るのが、なぜ行動調書に名前が出てくるのか、という点です、8月後半になると201空の搭乗員が2名ばかり参加しての出撃が何度かありました、その名前欄には”201空搭乗員”と書かれていました。
大庭中尉が201空に籍があるのなら、大庭中尉も”201空搭乗員”と書かれているのではないのか?。
ということなのです。

7月の201空の出撃メンバーを見れば、大庭中尉が201空の生え抜き搭乗員がどうかわかるはずですが。

もしかするとアテネ書房刊の戦闘詳報に載ってるかもしれないので、調べてみようかな。(←調べずにこの記事書いたんかい[載ってないそうです])。
というわけで、水戦隊のおまけ篇はおしまいです。
次からは水戦隊に戻る予定です。

最後に。
1943年8月の251空の昼戦隊の延べ出撃機数は580機以上に及び、文中に名前の出てきた有田位紀上飛曹をはじめとして7名の行方不明者、2名の自爆者(内1名は事故による)を出しました。
慎んでご冥福をお祈りいたします。

2003/05/05追記)川崎まなぶ様に以下のことを教えていただきました。 許可を得た上で転載させていただました、お礼申し上げます。 7月17日251空付(厚木空) 9月1日253空付 9付20日201空付 とのことです。 海軍水上戦闘機隊 目次に戻る
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