中部太平洋方面水上戦闘機隊


中部太平洋方面で戦った日本海軍の水上戦闘機隊について紹介します。

第902航空隊 水戦隊

1943年10月21日
トラックに配備されていた902空に、802空から削除された水戦隊が編入されて、この日トラックの夏島に水戦7機と整備員14名がやってきた。
分隊長は山崎圭三中尉、整備員の長は二藤忠少尉です。
この事情について山崎圭三氏は丸(2000/12)掲載の手記にこう書いている。「この移動は、トラック基地に毎日定期便のように高高度偵察に来襲するB-24迎撃のため、と聞かされたが、フロート付の水戦に、高速でしかも高高度をやってくるB−24を撃墜することはほとんど不可能なので、私は不審に思った。おそらく、水上戦闘機という機種自体が、戦局の悪化によって、太平洋正面での使命の終わりをつげられての移動ではなかったかと思う。」

1943年11月1日
哨戒を開始した。

1943年11月3日
水戦全機がトラックとラバウルの昼間地点にある、グリニッヂに移動した、整備員は翌日グリニッヂに移動した。
この目的について山崎圭三氏は丸(2000/12)掲載の手記にこう書いている。「しかし、案の定、B−24迎撃は不可能だった。そこで、水戦隊はラパウルとトラックのちょうど中間にあるグリーニッチ島という珊瑚礁の島に進出することになった。敵はおそらくこの島を目標に飛んできて、ここでトラックに向け変針しているにちがいないと考え、ここなら敵も無警戒なうえに、低空を飛んでくるだろうから、迎撃は可能と思われた。」

1943年11月4日
タ方、超低空で侵入してきたB−24の銃撃で水戦全機が炎上した。
山崎圭三氏は丸(2000/12)掲載の手記によると、「臨時の進出のため見張りの施設もなかった」そうで、水戦の身軽さが裏目に出た形となった。

1943年11月5日
整備員の奮闘により1機が稼働となる。

1943年11月6日〜10日
零観4機,水戦1機がトラックから輸送されてきた。
連日来襲するB−24を迎撃、何度か,撃破する成果をあげた。

1943年11月11日
トラックに戻った。

1943年12月〜1944年1月初め
12月、補充の搭乗員が到着した。
1月初め分隊長が山崎大尉から鳥本重二中尉(兵69)に交代した。

1944年1月4日〜20日
水戦6機,輸送飛行艇2機でモートロック島へ進出し、哨戒を行なったが本格的な空戦は発生しなかった。

1944年1月10日
モートロック島の上空哨戒よりの帰着時、小山 輝雄 一飛曹機が悪天候のため大発に接触転覆し、小山一飛曹は戦死した。
この件に関して、川崎まなぶ様及びキーウィ様に大変お世話になりました、お礼申し上げます。

1944年1月21日
トラックに戻る。
又、砂見慶治上飛曹,早瀬里之一飛曹,副島良三一飛曹,成田八郎二飛曹の4名が内地に帰還した。
(余談であるが、この4名は全員この戦争に生き残った。バンザイ)。

1944年2月17日
トラックが米機動部隊の大空襲をうけた。
所在の日本軍航空戦力は壊滅したが、水戦隊も例外ではなかった。
0440夏島から水戦8機と零観4機が迎撃に発進、既に敵は侵入を開始しており、編隊を組むこともできず単機空戦を強いられた。
鈴木光男飛長、戦闘機2機を撃墜後右足に被弾して竹島夏島間の海面に不時着
伊藤猛治一飛曹、戦闘機2機を撃墜した後,F6Fと正面反航で撃ち含って被弾落下傘降下し負傷。
出村外次郎一飛曹、戦闘機1機を撃墜後被弾発火して夏島東海面に不時着。
川野通冶中尉、戦死。
三谷義仙一飛曹、机島西方海面に墜落戦死。
鈴木義男上飛曹、春島電信所付近に墜落戦死。
春名茂芳上飛、未帰還。
堀之内善宗飛長、燃料タンクに被弾しながら夏島に帰りつき,再び0730単機で発進して敵機と交戦,再度被弾して秋島南方に不時着。

水戦隊は5機の撃墜を記録しているが、零戦が迎撃の主戦力となった大空戦だったこともあり状況は混沌とし、戦果の裏はとれなかった。
米側は124機を撃墜したと報じており、25機を失っている。
VFー9のWilliam J.Bonneau中尉とVF−6のAlexander Vraciu中尉が 二式水戦の撃墜を報じ、エースになったとしている。
この日の空戦参加者の手記が雑誌に発表されています、 伊藤猛治著「」丸エキストラ戦史と旅  号。
伊藤猛治氏が戦後改名されたのだと思われます。
興味のある方はご参照ください。

稼働機は0となり、3月4日付けで水戦隊は902空より削除された。

902空水戦隊 搭乗員 判明している方のみ(順不同)[]内は戦死した日付 階級は当時のものですが、1943年11月に進級が行われており多少ずれがあります。
山崎 圭三 大尉(兵68)[生存]
鳥本 重二中尉(兵69)[44/6/11サイパン S316]
砂見 慶治 上飛曹(操51)[生存]
副島 良三 一飛曹(乙11)[生存]
早瀬 里之 一飛曹(乙11)[生存]
成田 八郎 二飛曹(丙3)[生存]
鈴木 義男 上飛曹(操49)[44/2/17トラック]
鈴木 光男 飛長(丙特11又は丙12)[44/6/11 サイパン]
伊藤 猛治 一飛曹(甲8)[生存]
出村 外次郎 一飛曹(乙15)[44/6/15 硫黄島 S316]
川野 通冶 中尉(兵70)[44/2/17トラック]
三谷 義仙 一飛曹(甲8)[44/2/17トラック]
春名 茂芳 上飛(丙14)[44/2/17トラック]
堀之内 善宗 飛長(丙7又は8)[44/7/8 サイパン S316]
小山 輝雄 一飛曹(丙7又は8)[44/1/10 トラック至近?]
水口 俊郎 一飛曹
中谷 武雄 一飛曹

その他の参考文献
『日本海軍戦闘機隊』秦郁彦 監修
『海軍戦闘機隊史』零戦搭乗員会編
『AIR WAR PACIFIC CHRONOLOGY』ERIC HAMMEL
『予科練外史』倉町秋次
『高松宮日記』高松宮
「902空飛行機隊行動調書」

また川崎学様より、小山輝雄一飛曹、鈴木光男飛長、出村外次郎 一飛曹、春名茂芳上飛、川野通冶中尉の出身期や消息について教えていただきました。
お礼申し上げます。

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