第五〇三海軍航空隊戦記
市販の本より五〇三空の戦闘状況を調べてみました。
私に真偽を確認する力が無いので間違っているかもしれません。
前半は『彗星爆撃隊』後半は『戦史叢書 マリアナ沖海戦』を主に参照しましたが
これらの本でしか確認できない、など、非常に真偽の程がつけにくいところも多く
あくまで、こんなこともあったかもしれない、程度に読んでください。
昭和18年10月1日
開隊
定数 艦爆 常用24, 補用12 陸偵 常用6, 補用2
昭和19年2月22日
木更津から硫黄島へ彗星36機が移動。
3月23日
朝マリアナ諸島に米機動部隊機の空襲。
503空の飛行機隊は10日程硫黄島に待機する。
3月
サイパンへ移動。
4月16日
攻撃に発進、18機が帰着した。
出撃しなかった1機がB-24を迎撃し3号爆弾による攻撃を加えた。
この日の残存機19機。
4月21日
ワクデ、ホランジアが空襲を受ける
日時不明
16機がグアムへ移動。
4月30日
トラックの残存3機で機動部隊攻撃、全機未帰還となった。
16機がグアムからペリュリューを経由(4月25日)してバボへ移動(4月26日)した。
この翌日バボがB−24の空襲を受けたが、全機無事だった。
5月1日
トラックより1機が索敵攻撃に出撃、機動部隊を攻撃したが効果はなかった。
5月27日
ビアク島に連合軍が上陸してきた。
16機がペリュリューへ移動し、整備のため2日間滞在した。
5月30日
ワシレに移動した。
6月1日
15機がソロンに移動するため発進したが天候不良で引き返した。
遅れて出発した1機のみが悪天候下ソロンに到着した。
6月2日
ソロンの1機がビアク島付近の索敵攻撃に出撃、敵を見ず引き返す。
ワシレからソロンへ彗星15機(?)が移動した後?。
13時20分に彗星10機が202空の零戦42機、陸軍の一式戦12機の援護下にソロンを発進、
15時40分に ビアクを攻撃、輸送船1隻に至近弾、桟橋2箇所炎上を報じた。
また戦闘機による攻撃で輸送船をかく座させ上陸点の銃撃が報じられた。
零戦3機、彗星1機、が自爆または未帰還となった。
(LST467号が至近弾で損傷している)
6月3日
8時20分に503空の彗星9機が202空の零戦22機、陸軍の一式戦12機の
援護下にビアク攻撃に発進。
10時20分にビアク島上空に到着、攻撃を行った。
巡洋艦1、駆逐艦1に直撃弾、火災発生を報じ。
また、ボスネック桟橋を爆撃した。
戦闘機5機と飛行艇1機撃墜が報じられ、また一式戦もP-40 2機撃墜を
報じた。
零戦5機、彗星3機、一式戦3機が未帰還となり。
零戦1機、一式戦1機が不時着している。
(駆逐艦1隻に軽微な損害が発生している)
6月4日
ドルビイユ岬攻撃で30度55浬に西進中の空母2隻を含む機動部隊を発見。
14時30分に彗星6機が零戦17機、一式戦12機の援護下に出撃
16時40分に攻撃を行った。
19時30分までに彗星2機がソロンに帰着。
ホノルル型1隻を撃沈概ね確実、オマハ型に至近弾が報告された。
彗星1機、零戦1機が未帰還となった。
(巡洋艦ナッシュビルが至近弾により損傷している)
6月8日
彗星6機が5時35分にビアク島周辺の輸送船団を攻撃、
輸送船2隻に至近弾各1発が報告された。
1機未帰還、1機がビアク島に不時着した。
6月12日
この日503空の第2中隊長がマノクワリにおいて戦死している。
7月10日
解隊される。
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