大空のサムライ
について感想など
海軍の戦闘機搭乗員であった坂井三郎さんの手記の感想など、綴っていきたいと思います。
第3回 B-25 撃墜
誰々の最後といったタイトルばかり続くのも何なので。
今回は あの難航不落のB-25を8機中5機を撃墜し1機を大破させた(米側記録)話です。
以前掲示板にB-25をこんなに大量撃墜したのは(太平洋戦域では)他に例がないのではないか?。
と書きましたが、8機撃墜したことがありましたね(1943/11/02)。
以下行動調書よりの抜粋です。迎撃戦とあって編成はありません
また1名足りませんが写し間違えたのではなく、元々1名足りませんでした。
(土屋二飛曹様に熊谷賢一 三飛曹が抜けていることをご指摘いただきました,お礼申し上げます)
17/05/25 B−25 8機来襲の報により発進(零戦13機)
1355 約30分にわたり之と空戦(6機共同撃墜)
1450までに12機帰着、1機自爆
□笹井醇一 中尉
宮崎儀太郎 飛曹長
吉野俐 飛曹長
坂井三郎 一飛曹
太田敏夫 一飛曹
宮運一 二飛曹
羽藤一志 三飛曹
熊谷賢一 三飛曹
鈴木松巳 三飛曹
国分武一 三飛曹
本吉義雄 一飛
山本健一郎 一飛
渡辺政雄 一飛 自爆
機銃弾10600消費 被弾4 B−25 6機撃墜
第2回 宮崎儀太郎飛曹長の最後について
ジョン・ベダー著の『空戦』という本を読んだのは、中学生の頃でしょうか。
太平洋戦域におけるP-40の戦いについての本ですが、当時の私はあまり面白くありませんでした。
"だって、日本機が一方的にやられてばっかだから"
その中で印象に残ったのか以下の記述でした。
「一瞬のうちに、P40はわれわれのすぐ真上にいた。
ついで電光のように爆撃機隊にとびこんだ。わたくしは前方五〇〇メートル
にいるそのP40戦闘機をじっと見た。それは体当たりをしようとしていたのだ。
あの機はいったい、どうやって梯形に組んでいる編隊の第三と第四爆撃機の
数メートルの間隙を通りぬけようとするのか。
それは不可能に思われたが、その不可能なことがおこったのだ。装備している
全部の銃を連射しながら、P40は爆撃機編隊をまっしぐらに通りぬけた。
そして"火の流れ"を宮崎機にそそぎこんだ……零戦は一面の炎につつまれた。
ものすごい速度でP40は、はるか下方へ機影を消した。
もしこの二つの記録が正しかったら、この急速な急降下をやったP40は
レス・ジャクソン大尉機だった」
(ジョン・ベダー著の『空戦』より)
ジュブナイル版の坂井三郎さんの空戦記を一回読んだことはあっても
『大空のサムライ』は読んでいないころでしたから、宮崎飛曹長の名前が
脳裏に刻み込まれたのはこの本の記述によってでした。
で、ずーっと、宮崎飛曹長を撃墜したのはジャクソン大尉だと思っていたのですが。
日付が違うことに今気づきました
この本では4月17日の出来事だと記してありますが、宮崎儀太郎飛曹長が戦死されたのは
6月1日のことです。
4月17日には残念ながら酒井良味二飛曹が戦死されており。
6月1日日本機と交戦したのは米軍の8FGのP-39だったようです。
6/1 ポートモレスビー攻撃
0730 ラバウル発進(14機) 3機引き返す
0900 ラエ発進(12機)
0945 戦闘機隊、元山空ワードフント岬にて合同
1040 モレスビー突入空中に敵戦闘機10数機を認め
空戦開始
一部キド上空にてP−39F 5機と空戦
1110 離脱
1200 20機ラエ帰着
□山下政雄 大尉 P−39 1不確実撃墜
西沢広義 一飛曹 P−39 1撃墜
本吉義雄 一飛 空戦効果なし
450発消費
△宮崎儀太郎 飛曹長 自爆
新井正美 三飛曹 被弾大破 P−39 1不確実撃墜
国分武一 三飛曹 空戦効果なし
200発消費
□笹井醇一 中尉
米川正吉 三飛曹
遠藤桝秋 三飛曹 被弾1
1800発消費
小隊共同 P−39 5撃墜 内不確実1
△坂井三郎 一飛曹 空戦効果なし
宮運一 二飛曹 空戦効果なし
日高 武一郎 一飛 空戦効果なし
150発消費
□河合四郎 大尉 150発 空戦効果なし
吉田素綱 一飛曹 引き返す
吉村啓作 一飛 引き返す
△栗原克美 中尉
鈴木松巳 三飛曹 引き返す
二宮喜八 一飛 P−39 1撃墜
鈴木、二宮合わせて450発消費
□山下丈二 大尉
菊地左京 一飛曹
岡野博 一飛
150発消費 空戦効果なし
△山下佐平 飛曹長 被弾1 P−39 1撃墜
小林克巳 一飛曹 空戦効果なし
大西要四三 三飛曹 空戦効果なし
450発消費
第1回 本田敏秋二飛曹の最後について
坂井三郎という名を知ったのは『零戦と戦艦大和』という本においてでした。
ただ、その当時小学2年生だった私にとっての英雄(と書くと語弊があるか、まあ子供のことだからと思って聞き流してください)はこの本に空戦記が掲載されて
いた川戸正治郎さんでした。どちらかというと軍艦の方に興味があったらしく、これ以上海軍航空については知ることもなく、小学生時代を終えるはずが、そういかなかったのは性というか運命だったのか。
小学6年生の時に、友人の家で、子供向けに書かれた坂井三郎さんについての本に出会っちゃったんですね。
で、何で読み始めたのかわからないのですが(というのは別に読みたいと思った記憶がないから)読み始めたら最後、最後まで読みきっちゃったのです。
途中ラーメンをご馳走になったんですが、食べてる最中にも読み続けたですね。
友人と彼の母親が「この子読みながら食べてる」とかひそひそ話してるのが耳に入って”食事中に本を読むのはいかんのだろうか?”と思ったりして。
今思えば冷や汗が出る思いです、(マナーを知れ、当時のオレ)。
親父が食事しながら新聞を読む人だったので、”食事中に読むのは普通の行為”だと誤解していたんだね。
まあ、過ぎ去ったことは、気にしないでおいて。
この本の中で特に悲痛なエピソードとして強く記憶に残ったのが、坂井三郎さんの列機を務めることが多かった、本田敏秋二飛曹が出撃から還ってこなかったエピソードです。
『大空のサムライ』を高校生になってから入手して読んだ時にも、還ってこないとわかっていながら、”還ってこい本田二飛曹”と祈る思いで読み続けながらも、
やはり還ってこなかった。
坂井三郎さんの哀惜の思いがひしひしと伝わってきます。
台南空の行動調書にはただ”自爆”の文字が書いてあるだけです。
戦争という行為の中では小さな犠牲にすぎないことですが。
坂井三郎さんの手記は、その(戦争の中では)小さな犠牲の一つ一つが、取り返しのつかないことであることを教えてくれます。
以下行動調書からの抜粋です、例によって写し間違っているかもしれないので、参考程度に考えてください。(いい加減だなあ)
△と□は旗のマークの代わりです。(中隊長とか小隊長を意味すると思う、でも違うかもしれない)
昭和17年5月13日 ポート・モレスビー偵察
1015 零戦6 ラエ発進
1100 モレスビー上空突入、モレスビー飛行場にB−26 6機、
B−17 2機着陸しあるを認む。
1105 P−39 10数機及びB−261機空中に認め空戦
1130 キド付近においてP−39数機と遭遇空戦中被弾自爆2/1D
1136 離脱
1230 ラエ帰着
□ 半田 亘理 飛曹長 被弾2
本田 敏秋 二飛曹 自爆
新井 正美 三飛曹 被弾6
△ 西沢 広義 一飛曹
山崎 一郎平 二飛曹
山本健一郎 一飛
7.7 x 3500, 20 x 600
P−39十数機、B−26 1機を空中に認め空戦。P−39 4機撃墜
(内 不確実2) B−26 1飛行場場外に不時着せしむ。
第2回 大尉の奇襲
6/1 ポートモレスビー攻撃
0730 ラバウル発進(14機) 3機引き返す
0900 ラエ発進(12機)
0945 戦闘機隊、元山空ワードフント岬にて合同
1040 モレスビー突入、空中に敵戦闘機10数機を認め
空戦開始
一部キド上空にてP−39F 5機と空戦
1110 離脱
1200 20機ラエ帰着
□ 山下 政雄 大尉 P−39 1不確実撃墜
西沢 広義 一飛曹 P−39 1撃墜
本吉 義男 一飛兵 空戦効果なし
450発
△宮崎 儀太朗 飛曹長 自爆
新井 正美 三飛曹 被弾大破 P−39 1不確実撃墜
国分 武一,三飛曹 空戦効果なし
200発
□ 笹井 醇一,中尉
米川 正吉,三飛曹
遠藤 桝秋,三飛曹 被弾1
1800
小隊共同 P−39 5撃墜 内不確実1
△ 坂井 三郎,一飛曹 空戦効果なし
宮 空戦効果なし
日高 武一郎,一飛兵 空戦効果なし
150発
□ 河合 四郎,大尉 150発 空戦効果なし
吉田 素綱,二飛曹 引き返す
吉村 啓作,一飛 引き返す
△ 栗原 克美,中尉
鈴木 松巳,三飛曹 引き返す
二宮 喜八,一飛 P−39 1撃墜
鈴木、二宮合わせて450発
□ 山下丈二大尉
菊地 左京,一飛曹
岡野 博,一飛
150発 空戦効果なし
△ 山下佐平飛曹長 被弾1 P−39 1撃墜
小林 克巳,一飛曹 空戦効果なし
大西 要四三,三飛曹 空戦効果なし
450発
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