4番レフト有田位紀


闘志溢る近藤飛曹長と題して、何か書こうと思ったのですが、ネタ本にするための大野竹好中尉の手記が見当たらないのですね、資料の整理はきちんとしておかなくてはいけません。
で、今回は同じく251空の有田位紀上飛曹の話・・・ではなくて、パワーベースボールという野球ゲームの話なんです。
このパワーベースボールというゲームかれこれ20年以上もやっているのですが、選手の名前は各自勝手に付けることになっています。
我が最初のチームは”当然のように”251空の搭乗員達から名前をもらって付けました。
『日本海軍戦闘機隊』の主要戦没搭乗員名簿と、渡辺洋二著のサンケイ版『夜間戦闘機月光』から引いてきたのです。
でその中に有田選手もいたわけですが、開幕2戦までは控え選手でした。
今プレイしている現行のチームもそうですが、私はどうも守備力優先でチームを編成する傾向があるようで、まあ、守備力を考えると、もっと適任な選手が他にいたってことです。
で開幕戦は大野投手が森田選手(相手チームはバレーボールの選手から名前をとっていました)に直球勝負を挑んで、本塁打を浴び負けちまいました。(あのころは青かったな)。
第2戦は近藤投手の先発でした、この投手速球はめっぽう速いがこれしか投げられない投手で、こんな選手が通用しないことを露呈し痛打を浴びてしまいました。
選手の能力を見たとたん"俺のチーム相手に速球が通用すると思ってるのか?”とか言われたぐらいですから、(思ってました)。 で打線は沈黙、あわや完封負けかという所で出した代打有田がシェルナー投手から(このチームはドイツの軍人から名前をとっていました)本塁打を放ち、一矢をむくいたのです。
現金なもので、次の試合からは4番レフト有田で、一転快進撃が続いたのです、(本当だよ、優勝ができんかったけど)。
この第一シーズンのリーグは長続きせず、翌シーズンから別のリーグが組まれ1シーズンでこのチームの戦歴は幕を閉じたのですが。
ファミコン・ゲームのベストプレープロ野球が出た時にこのゲームに数値を変換して打ち込んでやり倒しましたね。
20シーズンも。面白かった。
数値化するに当たって陰謀は仕組まれました、つまり、能力の敷居値を我がチームの主力選手の数値の下限に持ってくる、つまり、敷居値を70におけば能力70の我が選手はBランクになっても、69の選手はほとんど変わらないはずなのにCランクになってしまうということです。
有田選手はベストプレープロ野球でも活躍しました、2度の三冠王をはじめ幾多のタイトルを獲得、通産800本塁打を記録しています。
さすがに、もうよれよれですが、未だ現役です。(努力型の選手だったのが幸いしました)
しかし、もう10年以上も新しいリーグに入ってないな。


さて、我が趣味の話ばかりでも怒られそうなので(誰から?)、有田位紀上飛曹の戦歴だけざっと紹介しておきましょう。

戦死されたのが、昭和18年の8月30日のブインにおいてでした。
9月1日付けで251空の昼間戦闘機隊は解散しますから、251空の南東方面におけるほぼ全期間活躍したことになります(と思ってました)。 251空の前には12空にいたそうで、昭和15年10月4日の第2回成都攻撃において長機の東山市郎空曹長と共同でSB爆撃機3機を撃墜しています。(この空戦の詳細は渡辺洋二著の『零戦戦史 進撃篇』に書かれています[私は未チェックです])
ここまでは、『日本海軍戦闘機隊』から判ったことです。
また、光人社刊の『写真 大空のサムライ』に有田位紀さんの写真が掲載されています。(この本もどっかいってしまっているなあ)。
で有田上飛曹は階級からいってもベテランですし、251空の中核としてほぼ全期間を戦っておられたと思っていたのですが、渡辺洋二氏の『局地戦闘機 雷電』(サンケイ版じゃないやつ)に、8月に251空の補充として送られたと書いてあったのを見つけて、驚きました、前線に着いてまもまく戦死されたことになりますから、戦場の過酷さを感じました。
有田位紀上飛曹は前線に着いてからバラレに展開する251空の戦闘機隊の一員として(他にブインにも251空の昼間戦闘機隊が展開していました)8月16日の迎撃哨戒に出撃したのを皮切りに出撃回数17回を数え,そのうち編隊の指揮官として8回の出撃をおこなっています、そして前述のように8月30日に戦死されてしまいます。
(30日にはブインから出撃しています。)
平均して1日1回以上の出撃を強いられていたことになりますね、さぞ疲れていたことでしょう)
この日は事故死者も含め4名という大量の戦死者を出してしまい、251空の昼間戦闘機隊にとって厄日となってしまっています。

前述のような理由で私にとって、”有田位紀”という名前は虚構が入り交じってずいぶん歪んだイメージとなってしまっていますが。
本物の有田位紀さん、せめて安らかに眠れ。
(偽者というか、私の虚構の方は未だ現役です)。
・・・
ああっ、ここまで書いておいて、251空の昼間戦闘機隊の8月分の行動調書を筆写したやつが、どっかにいってしまってるっ。
資料の整理は大切です また見つかったら(というか自分のために必ず見つけます)8月30日の編成を追記します。というかテキストファイルにしてあったのを忘れてました。

18/08/30
ブイン迎撃 零戦12機参加
敵B24 x 25 F4U x 20
F4U x 3 撃墜(内不確実1)大型機1共同撃墜
行方不明1機
1340警報により発進(201 x 15, 204 x 20と合同)
哨戒中?(自分の字が汚くて判読できません)方向よりB24 x 25 F4U x 20来襲これと空戦
1500 帰着

有田 位紀 上飛曹 行方不明
寺本 十三 上飛
岡村 栄 二飛曹
小野 鎭 二飛曹

茂木 義男 一飛曹
山根 功雄 上飛
栗山 九州男 二飛曹
浅井 政雄 上飛

池田 市次 二飛曹
柳清太二飛曹
南田 覺 上飛
赤堀 壽 上飛

有田上飛曹の列機が上飛で4番機が二飛曹なのは変な気がするので間違っているかもしれません、後で確かめます。(たぶん合ってます)
この日は数次の迎撃戦が行われていたようで、日本側が全体としてどう行動していたか私は判っていません。
(例えば同じ251空のバラレから発進した零戦8機(豊田耕作飛曹長指揮)は時間と認識した敵機の構成からみて、おそらく同じ敵と交戦し、戦闘機3機撃墜(内1機不確実)を報じていますが2名を失っています)。
連合軍は27機のB−24と多数のPー40、P−39、F4Uで空襲を行い1600〜1715(現地時間)の間に19機の零戦の撃墜を報じ、Bー24 1機、戦闘機6機を失っている。
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