艦爆・染谷サーカス
小説家の豊田穣が染矢岩夫という艦爆搭乗員について短編を書いています。
実際はどうであったかは別として、この著者の書く空戦小説は、”空戦小説”としては出色の出来です、一読の価値はあります。
さて著者の豊田穣は南太平洋海戦が終わった後、空母飛鷹の艦爆隊に配備されます、その艦爆隊員の中に染矢岩夫飛曹長がいたのですが、同じく飛鷹の艦爆隊員で同期の村上中尉から染矢岩夫飛曹長の南東方面での活躍を聞き、戦後になって書かれたであろう小説が「艦爆・染谷サーカス」(集英社文庫刊の『撃墜』に収録)です。
豊田氏の小説によると、染矢飛曹長の太平洋戦争における活躍は以下のようになります。
空母飛龍艦爆隊員として真珠湾攻撃に参加。
ミッドウェー海戦で空母ヨークタウンに命中弾。
そして南太平洋海戦前後に陸上基地から作戦した空母飛鷹の艦爆隊員としてF4Fを合計で4機撃墜する、これが小説のハイライトとなります。
戦争には最後まで生き残る。
凄いや、一発で名前を覚えましたね、20数年前の私は。
しかし、だんだん疑問が増えてきます。
1.真珠湾攻撃メンバーの中に染谷岩夫の名前がない。
2.ミッドウェー海戦の飛龍の攻撃隊に染谷岩夫の名前がない。
あろうことか豊田穣の『ミッドウェー戦記』にも登場しない。
???。
悩んだ末中川静夫飛曹長の名前を変えて小説として発表したのではと考えていたのですが、第一中川静夫飛曹長は戦没されております。
そのうち、どなたかの搭乗員だった方の手記に染矢の名前があったため存在だけは確認できたのですが、その他のことはさっぱり分かりませんでした。
この件に関しては、そのまま放っておかれました。
市販の本には名前が出てこないのだから仕方ありません。
で、WAR BARSというサイトのANS Qというコーナーでミッドウェー海戦時における染矢岩夫飛曹長のことを知ったのが一年ほど前でしょうか。
ミッドウェー海戦には蒼龍の彗星搭乗員として参加されたようです。
では、「艦爆・染谷サーカス」のハイライトである南東方面におけるF4F撃墜はどうだったのでしょうか?。
空母飛鷹の機関故障が発生したのが南太平洋海戦前の10月20日です、搭載機のうち艦攻は空母隼鷹に移し艦戦と艦爆は基地航空隊において作戦することになりました。(10月23日ラバウル進出、10月31日現在の保有機零戦一六機・艦爆一七機)
ラバウルにおいて艦爆は連日対潜哨戒の任につきました。
11月11日ガダルカナルに到着した米輸送船団を日本軍機が襲います。
飛鷹の艦爆9機と飛鷹と204空の零戦18機です。
輸送艦ゼイリンは低い高度から1機づつ攻撃をかけてくる5機の艦爆の攻撃を受けます、2機は対空砲火で撃墜され250キロ爆弾3発がゼイリンに至近弾となり2000トンの浸水が発生します。
日本側は迎撃してきた敵機25機撃墜(うち不確実5機)。
輸送船、駆逐艦各1隻の撃沈を報じました。
米軍は7機の戦闘機と5名のパイロットを失っています。
行動調書よりこの日の飛鷹艦爆隊の編成をみますと以下のようになっています。
操縦士、偵察員の順で書いてあります。
阿部善次大尉、中島米吉飛曹長
宮崎清市上飛曹、山口積上飛曹 行方不明
土屋孝美一飛曹、中竹悟上飛曹
染矢岩夫上飛曹、河合治郎少尉 7.7ミリ機銃弾x560消費 グラマン艦戦1機撃墜
瀬尾鉄夫上飛曹、水谷廣恵一飛曹
鴨川正武二飛曹、小林勘一飛長 行方不明
中川静夫飛曹長、大西春雄上飛曹 被弾不時着
甲田末廣二飛曹、永峰雪雄二飛曹 行方不明
中尾静男飛長、瀬市軍三二飛曹 行方不明
ソロモンにおいて撃墜が報じられたのは確かなことでした。
撃墜されたF4Fの中に染矢機によるものがあるのかどうかは私は情報を持っていないのでわかりませんが。
飛鷹の艦爆隊の中で語り草となって豊田中尉の耳に入ったのも頷ける話です。
飛鷹の艦爆隊はさらに11月15日 7機をもってガダルカナル艦船攻撃に出撃しますが、シーラーク水道に艦船の姿はありませんでした。
さて、作家豊田穣の小説についてはどう考えれば良いでしょうか、基本的に小説だから考慮するに足りぬ?。
そうかもしれません、しかし豊田氏の小説中から一片の貴重な情報を得ることは可能です。
それに、彼の小説が無かったら染矢岩夫の名前は知らぬままだったでしょう。
何より、脚色されているとはいえ彼の思い出として残った同期生や仲間達の姿は彼の小説の中で今も生きているのです。
参考文献 『日本空母戦史』 木俣滋郎
「飛鷹飛行機隊行動調書」
『予科練外史』倉町秋次
(2003/04/23追記 艦爆・染谷サーカスとは小説のタイトルであり、本人が戦時中そう呼ばれていたわけではありません、小説中にも”そう呼ばれても良いのではないか”と記述されているだけです、念のため記しておきます)。
(2003/05/14追記吉良様より以下の情報を教えていただきましたお礼申し上げると共に記載させていただきます 染矢氏の進級日時は
昭和18年4月1日 任飛曹長
昭和20年5月1日 任少尉
とのことです
)
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