第802航空隊日誌(1944/1〜2)

1944年1月〜2月にかけての第802航空隊の日誌(正確な題名は忘れましたが)を筆写したものです。
もちろん書き写しミスもあるだろうし、天候などについてはオミットしてあります。(天候も大事な情報だと認識してますが、時間無かったから)
でも、大雑把な行動内容は把握できると思う。

じゃあ何で802空の日誌を書き写したかというと、この時期の902空の水戦隊の情報が知りたかったからで、早い時期に間違いに気づいたのですが、飛行艇部隊の行動内容にも興味があったので、勢いで全部書き写してしまいました。
アホやねーおれも。
これを見ていると稼働は多くて3機程度で、1機か2機をコンスタントに索敵哨戒に送り出しています。2機程度じゃ穴だらけじゃないの?と思ったりしますが、重点を絞って索敵すれば大丈夫なのか、それとも他機種でカバーしていたのか?。
基地を変えたとたん索敵哨戒任務が絶えているので前者でしょうか。
実はこの部隊がどこを根拠地にしていたかも知らないんで、上記の疑も、ちょっと判断つきかねてます、そのうち調べて掲載しますです。
文中に書いてある略号もわかってません、根拠地を調べればある程度類推できると思うので、それができたら、記載します。
確実なもの。
PW   ウォッゼ
PS   サイパン
唯の推定にすぎないもの。
NBB   内地
PT   トラック
PQ   見当つきません。

毎日巨大な二式大艇を整備してコンスタントに2〜3機の飛行任務をこなすのは大変だったのだろうなと想像します。

とりあえず、かなり生に近い形で情報を掲載するので、あとは、どう判断するかは、あなたの自由です。

以下特に記してない限りは機種は二式大型飛行艇です。
それと、原文と同じ文章が書いてあるとは限りません、時間の節約のため、略して書いて、さらにそれをHTML化する時に元に戻して書いてあります。

1944/01/01
2機哨戒索敵 敵を見ず
1機不時着搭乗員収容
1944/01/02
2機哨戒索敵 敵を見ず
1機横浜-川西要務飛行
1944/01/03
2機哨戒索敵 敵を見ず
1944/01/04
2機哨戒索敵 敵を見ず
1944/01/05
2機哨戒索敵 ウ五区 dx1発見、ウ六区発動機故障引き返す敵を見ず
1機NBB→PS空輸 天候不良引き返す
1944/01/06
2機NBB→PS空輸
1944/01/07
2機哨戒索敵 ウ五区 発動機故障1機引き返す、敵を見ず
2機PS→PT空輸
2機試飛行
1944/01/08
1機哨戒索敵 敵を見ず
1機PT→PW空輸
1944/01/09
2機哨戒索敵 敵を見ず
1機PT→PW空輸
1機PW→PS空輸
1機地上で敵銃撃により被弾炎上、1機水上係留中被弾沈没
1944/01/10
1機PW→PT要務飛行
1944/01/11
1機ロンゴラップ偵察異常を認めず、終了後PSに空輸
1機PT→PW要務飛行
1機PS→NBB空輸
飛行機隊及び整備員の一部PSに転進開始
1944/01/12
2機PW→PS空輸
1機PSPT空輸
整備員50名駆逐艦海風(?風の部分が略字風だったので、これでいいのか??)に便乗PQを経てPTに向う
1944/01/13
1機PT→PW空輸
1機PS→PT空輸 天候不良引き返す
1944/01/14
1機PW→PS空輸
1機PS→PT空輸
1機PS→PT→PS要務飛行
1944/01/15
1機PT→PW空輸
1944/01/16
1機PW→PT空輸
1機PS→PT空輸
1機対潜哨戒
1944/01/17
1機操訓並びに試飛行
1機NBB→PS空輸 行方不明となる(更新機 機位を失ったため)
1944/01/18
1機不時着機捜索
1機PW→PT空輸
1944/01/19
1機PW→PT→PS空輸
1機不時着機捜索
1944/01/20
1機不時着機捜索
1機PS→PT要務飛行
1944/01/21
1機不時着機捜索
1機PT→PW要務飛行
不時着機捜索を打ち切る
1944/01/22
2機、PS→PT、PT→PW要務飛行
1944/01/23
1機PT→PW要務飛行
1機PW→PO要務飛行 発動機不調のため引き返す
1944/01/24
1機PO→PT→PS要務飛行
1機PW→PT→PS要務飛行
1機操訓
全機PSに転進完了
1944/01/25
2機PS→PT→PS要務飛行(人員物件輸送)
1944/01/26
整備作業
1944/01/27
3機更新空輸のためNBBに向け発
1944/01/28
1944/01/29
3機NBB→PS空輸
1944/01/30
1機横浜基地において試飛行
1944/01/31
1機第312S船団対潜哨戒、敵を見ず

以下月が変わったので、記述者も異なる模様
1944/02/01
fdx1 対潜哨戒、敵を見ず
1944/02/02
fdx1 対潜哨戒、敵を見ず
1944/02/03
fdx1 NBB→PS空輸、八〇一空fdx4 着給油
1944/02/04
fdx3 PTに進出
1944/02/05
fdx1 NBB→PS空輸
fdx1 PW基地員救出(PT基地)
救出に成功せるも中一機帰途不時着行方不明となる
八〇一空fdx3PTよりの帰途補給
陸攻と銀河」伊澤保穂著P307によると5日夜802空飛行艇1機によってウォッゼから、5日夜飛行艇2機、6日夜飛行艇3機によってブラウンから搭乗員を収容したそうなので、PWがウォッゼなのは間違いない。ブラウンへの米軍上陸は2月17,18日なので、7日の項にある"八〇二(一?)空fdx3 NBBに向け出発"とは、ブラウンよりの救出行より戻った飛行艇が帰っていったということなのだろう。
1944/02/06
fdx1 PT進出
fdx2 不時着機捜索(於PT基地)不時着機を認めず
1944/02/07
fdx1 不時着機捜索(於PT基地)
八〇二(一?)空fdx3 NBBに向け出発
1944/02/08
整備
第24航戦司令官(ルオット)島において玉砕のため本日より22航戦の指揮下に入る。
1944/02/09
整備
1944/02/10
整備
十F晴空1機着(本搭乗員に練PTより便乗)
1944/02/11
fdx2 PT進出
fdx2 試飛行(PT基地)
1944/02/12
fdx3 ルオット島ニルム島夜間爆撃
飛行場一面大火災を生ぜしむ
環礁内に停泊中の敵船一斉に陸岸に向け航行を開始かく坐の算大
1944/02/13
1944/02/14
fdx4 PTに進出中のことろPSに帰還
八〇一空fdx2 PSにて燃料補給着水時1機かくざ艇底破損
1944/02/15
整備
1944/02/16
fdx1 対潜哨戒 敵を見ず
八〇一空fdx1 PS→NBB空輸のため離水事故により炎上十六名戦死、二十一名戦傷
1944/02/17
fdx1 PS→NBB空輸
fdx1 哨戒索敵 敵を見ず
fdx1 操訓
八〇一空fdx1 NBBに向け出発
1944/02/18
1944/02/19
fdx1 哨戒敵を見ず 107ド700浬 測程 60浬
1944/02/20
fdx1 操訓
fdx1 NBB→PS空輸
1944/02/21
fdx2 操訓
1944/02/22
fdx1 対潜哨戒敵を見ず
1944/02/23
fdx3空中退避(メレヨン基地)内1機日没時帰着
敵起動部隊出現本島空襲敵戦闘機の銃撃によりfdx1炎上
(八〇一空 fdx1、詫間空 fdx1炎上、詫間空晴空1機海没
1944/02/24
fdx1 空中退避(メレヨン基地)
1944/02/25
fdx3 メレヨン退避中のところ帰着
1944/02/26
fdx2 PS→NBB要務飛行
1AF搭乗員内地輸送
1944/02/27
2機操訓
1944/02/28
2機操訓
1機→PS空輸
901空fd(九七)3着 内2機当分の間常駐 護衛に従事
1944/02/29
fdx2 操訓
fdx1 対潜哨戒 敵を見ず 
fdx1 NBB→PS空輸
詫間空fdx2(九七)着(晴空搭乗員迎えるため)


面白かったですか?。
普通はつまんないですよね。
僕はこーゆーのを面白いと思う人間だけど。

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