大口町は堀尾氏累代の邸宅跡があった所で、その歴代藩主の中で泰晴の長男である吉晴は秀吉の信任が厚く三中老の
一人と言われており、また、島根県松江城を築城し、松江開府の祖とも言われています。
その吉晴の息子の一人が裁断橋の主人公の金助です。天正18年(1590)金助小田原征伐の出陣を母が裁断橋(当時はこの橋は熱田神宮近くにありました。)
まで見送りましたが、母の思いもむなしくその年に戦地で死亡。母は息子の供養の為にと橋を建て替える。その後いろいろな事情を経て100年後の平成8年大口町に
再現されました。

姥堂です。

度々建て替えられ、「裁断橋物語」にもなった母の思いがいっぱいの裁断橋。

五条川に架けられた裁断橋。ここから眺める桜はさぞかし、心うつ物が~

この橋の擬宝珠四個は複製です。実物の擬宝珠は名古屋市の文化財になっており

名古屋市に保存されています。複製の擬宝珠に金助への母の思いが刻まれております。

擬宝珠に刻まれている、この文章は日本母の三大名文となって居ます。

裁断橋広場です。

イベント広場になっており、ステージには六個のストーンがあり、文字が書かれています。

雅(上品で優美)、宴(楽しみ)、舞(感情や情景の表現)、会(人々の出会いの場)


明治37年の裁断橋の一部を利用して修復した橋です。
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