2001年9月の読書感想


書名 ノーサイド伝説
著者 馬場信浩
出版 講談社(1985/10/31)
分野 スポーツノンフィクション

昭和48年〜昭和59年の間に早稲田大学ラグビー部が対戦した対明治、慶応大学戦の数試合を扱っている。
第2章で扱った、ダブルラインで明治大学を破った試合は、ラグビーを見始めたころの試合だ、ルールもわからず見ていたそのころの記憶は唯アナウンサーの叫ぶ「河瀬の突進」という言葉だけだ、何度も連呼されたその言葉だけが脳裏に残り、他の事は忘却の彼方となった。今その試合を見たいと思ってもたまたま見ていたその試合が録画してあるわけでなく、唯こうした文章で追体験できるだけだ、本城、吉野、若狭、小林、佐藤、河瀬、早稲田、明治双方のプレイヤーに取材を行いその試合で彼らが何を考えどうプレイしたかが再構築されている、この試合の後元気をなくしてしまったかに見える相手側プレイヤーの若狭のことを案じる本城や一年生プレイヤーの佐藤を気遣う河瀬など試合の裏の様々な人間模様が見えて来る。


書名 秘境の地底人
原題 The People of the Pit And Other Stories(1917)
著者 エイブラハム・メリット
訳者 羽田詩津子
出版 ソノラマ文庫海外シリーズ(1986/03/31)
分野 幻想文学

メリットの数少ない短編のほとんどが収録された短編集だそうだ。死後発見された書きかけの原稿が2本収録されているほどだから、本当に文庫本一冊に納まるだけの分量の短編しか書いていないのだろう。
ほぼ全篇秘境冒険小説です。その中では長編のクライマックス部分を収録した「金属怪獣の女王」がとりわけ印象深い、肉親の仇の国王が治める国を蹂躙してゆく金属怪獣の描写には理屈抜きで唖然とさせられる。まるで大魔神だ。


書名 日本一短い「母」への手紙
出版 角川文庫(1995/7)
分野 その他

笑ってしまうものや、しんみりさせてしまう200通の母への手紙。
こんなもの読んでいると書くのは照れ臭いぞと一言書いておかないと照れ臭くて仕方ないぞ。
BOOKOFFにはこの本が数冊並んでいたが「父への手紙」の方は一冊も並んでなかった。
かわいそうな父親。
オレは父親の方も好きなんだが。・・・そういえば幼い頃母親に向かって「お父さんの方が好き」と言ったこともあったっけ。・・・・どわー。なんという酷いことを言っとるんだお前は、ごめんよおかあさん。
さて、一年後に私はこの文章を平然として読めるでしょうか。


書名 20世紀SF5 1980年代 −冬のマーケット−
編者 山岸真、中村融
出版 河出文庫(2001/07/20)
分野 SF

1980年代のSFアンソロジーです。
この年代の短編はかなり読んでいるつもりだったのですが、 1/3の5篇しか読んでいませんでした。
この巻は既読未読にかかわらず全て読みました。
「冬のマーケット」ウィリアム・ギブスン
1980年代を象徴するSF作家を一人挙げるなら、たいていの人はギブスンの名を挙げると思います。この本の副題も「冬のマーケット」となっています。
しかし、この「冬のマーケット」は傑作として感じるためには「どこに着目して読めば良いのか?」がわかりません、決して駄作ではないのですが。うーむ。

「美と崇高」ブルース・スターリング
未来の価値観の変った人々と、取り残された価値観を持つ人の話。
自分はやっぱり20世紀の人間なんだなあと思う、圧倒的に古い価値観の人に共感する。
新しい価値観を持つ人の愚かな行動(と古い私には思える)には怒りを覚える。
オレはいいよ、古い人間のままで、ずっとこのままで生きる。
良い作品です。
余談ですが「テストパイロット」という職業にもっと敬意を払いなさい。
未来の愚かな(と私には思える)人々よ、危険な任務に邁進した彼らがいてこそ君達も「安楽な生活」が送れるのだぞ。

「宇宙の恍惚」ルーディ・ラッカー
単語が黒丸調なので、訳者を確認したら大森望だった。
ラッカーの小説の場合他の訳者が訳す場合でも黒丸調にしなければならないのか、誰が訳してもそうなる原文なのか?。
最後2ページが無くとも充分面白いが、オチでさらに笑わせてくれる。痛そうだねえ。

「肥育園」オースン・スコット・カード
一番先にこれを読んだのは当然として。もちろん期待も大きかったんですが。もう何度が読まないと評価は下せません。とりあえず、司書の駄弁者さんの所の掲示板に書いた文章をそのまま書いておきます。
ヴァーリーの姓転換を扱った短編「選択の自由」だったかな?)や、イーガンの宝石の話(「祈りの海」収録の「ぼくになることを」)、ラッカーの「ソフトウェア」などと読み比べるといいかもしれない。 自分自身のオリジナルな生にしがみついている分「肥育園」の主人公が一番私には近いような気がしますね。 SF読む醍醐味には上記の3作に比べて劣るような気がしますが、本当にそうでしょうか。生に対して自らに近い考え方をしている分、意表をつかれないためそう感じるだけかもしれない。

「姉妹たち」グレッグ・ベア
学園物の姿を借りて読みやすい話ではありますが。
「人類が50年後も同じ姿をしていると思っているなら、それは間違っている」
そう語るベアの作品を読んで行くにあたって、その思想が現れている「姉妹たち」は外せない小説です。
やっぱりベアは短編がいいですね。ベアのながーいながーい長編に辟易している方は短編を読みましょう、評価も変るかも。

「ほうれんそうの最後」スタン・ドライヤー
最も初期の「クラッカー小説」という価値を除けば、たいしたことない小説。
だと思うのだが、先駆者には敬意を払うべきだ、だからこそ本アンソロジーに収録されたのだろう。
(だからギブスンにも敬意は持っているんだよ、ただわからないだけ。)

「系統発生」ポール・ディ・フィリポ
かなり鮮烈に覚えているつもりだったのですが。
やっぱり大体は覚えていた、ウィルスの特徴を遺伝子に組み込んで生き延びる人類の話なんて、そうそう忘れるものじゃありません。
でも忘れていたところもやっぱりあった、でかかったんだね、ウィルス人類、文字通りウィルスになって生きていたものと記憶が改変されていた。

「やさしき誘惑」マーク・スティーグラー
初のナノテクSFだそうです、ナノテク紹介小説らしい小説ですね。
ナノテク小説についてアーサー・C・クラークの言葉「十分に進歩した科学は魔法と変らない」がよくひきあいに出されますが。この小説もその典型です。
でも、この小説についてはそれでいいのです、ナノテクノロジーがどのようなものか、紹介する役割を持っていたはずですから。

「リアルト・ホテルで」コニー・ウィリス
量子論のパロディ小説だそうですが、いかん、勉強不足だ、全然わかりません。

「調停者」ガードナー・ドゾワ
6巻に収録予定のビッスン著「平ら山のてっぺん」と同じく地形が変化したアメリカでの話。こちらは気温上昇で極地の氷が溶け水位が上昇多くの土地が水没してしまった世界。
現実世界では、あまり冗談事とも思えなくなっている。
「平ら山のてっぺん」の少年はバイタリティがあったが、こちらの少年は思い悩むタイプのようで、きにするんじゃないと言いたくなる。

「世界の広さ」イアン・ワトスン
読んでいるはずなのに、全然記憶がない、すっかりわすれちまってる割に面白い。
ワトスンらしい奇想SF。

「征たれざる国」ジェフ・ライマン
「 カンボジアでの亡くなった夫を前にした女性の写真」に触発されて執筆された悪夢の世界の幻想戦争小説。
理屈などいらない、とにかく読んでこの悪夢のような世界にいざなわれよう。
でもちょっとだけ理屈をこねてみる、「あなたは幸運だったのよ」と三女に向かって姉は語りかけます。それは真実だとこの平和な世界に生きる私は実感します。
戦争についての体験談を多数読んでいると、もっと地獄のような情景に出くわすことがあります、征服者の姿がかつての日本軍とだぶって仕方ありませんでした。
そしてまた<征たれざる国>もまたかつての日本がなっていたかもしれない姿でもあります。
戦争がもたらす惨禍は戦争を知らない私にさえ影を落としています。
今のこの国が<征たれざる国>でも<隣国>でもなくてよかった、そしてこれからもそうならないことを願います。

このアンソロジー中のベストは私的には「系統発生」でしょうか、でも好き嫌いが加わると「姉妹たち」になるかな。(だって、ベア好きなんだよー)


書名 無の障壁
著者 光瀬龍
出版 ハヤカワ文庫JA(1978/09/30)
分野 SF

短編集です。
偉大なる日本SF界の先駆者に対してこんなことを書くのも失礼ですがあまり面白くありませんでした。
おかげで半年あまりをかけての読書となりました。
でも最後の短編「クロスコンドリナ2」だけは面白かったよ。 調査隊の事故が続いた惑星クロスコンドリナ2に、3度目の調査を開始したところ、惑星のコアがとても軽い物質でできているということが判明してくる話。
これがハードSFとして書かれていたら絶賛していただろうなあ。

書名 樹海伝説
著者 マイクル・ビショップ
訳者 浅倉久志
出版 集英社(1984/10)
分野 SF

何篇もSFを読んでいると、SFを読む喜びを感じさせてくれる作品に出会うことが、稀にある。「樹海伝説」はその喜びを感じさせてくれた。
自ら消息を絶った人類学者イーガンの遺した調査結果を編集した異星の霊長類「アザディ族」についてのレポートから物語は始まる。(元々はこのレポート自体が短編として発表されていて、それを長編化したものがこの本らしい。)
辺境の惑星は広大な(共感覚)樹海と草原に明白に区別されたた2つの地域からなっている。
そして動物らしきものは、樹海に生息するアザディ族しか確認されていなかった。
そしてアザディ族の集落に入りこむことに成功したイーガンのレポートと「アザディ族のパゴダ(より持ちかえった、(人類の本に相当する)アイ・ブック)」は、アザディ族が過去に文明を持ち現在においても明かに知性を持つ兆候を伝えていた。
イーガンが消息を絶って6年、彼の娘エレジー・キャザーとイーガンの調査結果をまとめた(かなり軽率な行動をする)トマス・ベネディクトは再びアザディ族の調査を始めた。
チェインの目的の一つには樹海に姿を消した父親を探し出すことも含まれていた。
かなり古書市場でも入手難のある本らしくて私も持っていないのですが、こういった明らかにSFとしての傑作が容易に読めないのは残念です。
この本のように読む価値のある本はどこかで再刊して欲しいと思います。

<書名>黄金の星間連絡艇
<原題>STAR COURIER(1977)
著者 A・バートラム・チャンドラー
訳者 野田昌宏
出版 ハヤカワ文庫SF(1977/11/15)
分野 SF

「前巻で軍を辞めたグライムズは小型ながら宇宙間航行が可能な連絡艇を入手します。
何か仕事を見つけて生きてゆかねばなりません。
グライムズは考えました、辺境の大会社の宇宙船がめったに寄らない惑星を根拠地にして、緊急の郵便物など小型の物資を輸送する仕事をしようと。
うまく仕事にありつくのですが、順調だったのはそれまで。
超光速航行中いきなり、宇宙艇が故障します、曲りなりにも軍隊では指揮官だったグライムズが宇宙艇の保守点検、修理に精通しているわけもありません。

やっぱりトラブルに巻き込まれたグライムズ、運が良いのか悪いのか。
宇宙艇のトラブルはきっかけに過ぎず、さらなる災難に巻き込まれてゆきます。
面白いかって?、面白いですよその証拠に次の巻を読みはじめている。


書名 星間運輸船強奪さる
原題 TO KEEP THE SHIP
著者 A・バートラム・チャンドラー
訳者 野田昌宏
出版 ハヤカワ文庫SF(1979/03/31)
分野 SF

星間運送業を開始したグライムズですが、冒頭でいきなり所有艇<リトル・シスター>を差し押さえれています。
請け負った仕事の注意事項を守らなかったため、依頼者に損害を負わせてしまったからです。
グライムズは<リトル・シスター>を失いたくありません、小さいながらも立派な宇宙船です、海(星?)の男として船長でいたいのです。
せめて<リトル・シスター>の係留費用だけでもかせごうと、軌道上の輸送船の管理人(留守番)を始めますが、革命家達に乗りこまれ、輸送船が強奪されてしまいます。
なんてついてないんでしょうか、グライムズ自身も作中「幸運ならこんな所にいない」とぼやいてます。それもそうでしょう、ついこの間まで監察宇宙軍の軍艦のキャプテンだったのですから。
しかし本質的にはついているグライムズは本書の中盤には輸送船を取り帰すことができます。しかし中盤というのがミソで更なるトラブルに巻きこまれ、グロイ展開に・・・。
感想は、・・・面白かったと書く以外特にないなあ。
あっそうだ、退職金として<リトル・シスター>をくれた伯爵令嬢ですが、グライムズとはあれほど水と油だったにもかかわらず、影ながらグライムズを援助してくれていることに言及されています。なんとなくうれしいですね、絶ちきられていたと思われる友人関係が、実はつながっていたことが。
その伯爵令嬢今まで名無しだったんですが、今回名前を付けてもらっていました。
あとグライムズの心の女性だった、マギー・ラゼンビーが他の男性と結婚直前に至っていました。かわいそうに。しかしプレイボーイのグライムズにはあまり堪ないだろうなあ。


書名 トップをねらえ! −ネクストジェネレーション−
著者 苑崎透
出版 ケイブンシャノベルス(1990/07/10)
分野 YA

アニメの「トップをねらえ」の数十年あとの物語。
国力の疲弊した地球は、魔法を術中にした植民星シリウスと対立していた。
面白いです、ただやっぱり「トップをねらえ」の派生物にしか過ぎないです。
比べてみると「トップをねらえ」のきっちりした作りが際立ってくる。
オリジナルを凌駕するものが何もないんですね。
魔法を術中にした敵っていう設定もうまく使えていないように思う。


書名 時間的無限大
原題 TIMELIKE INFINITY(1992)
著者 スティーヴン・バクスター
訳者 小野田和子
出版 ハヤカワ文庫SF(1995/03/10)
分野 SF

「ジーリーシリーズ」の2冊目、SFマガジンでこの著者が小説が下手だ下手だと酷評されている場合が多いようですが、上手い下手は別として、面白いですね、この作家の本は。
「天の筏」と「時間的無限大」を読んだ限りではそう思う。
それと同じ「ジーリーシリーズ」とはいえ、「天の筏」は歴史の大きな流れからは全く外れているので、「時間的無限大」から読み始めても問題ない。
「ワームホールの一方の出口を光速に近い速度で移動させた後で元の場所に戻って来る、すると、移動した方の口はウラシマ効果で時間の進み方が遅くなり未来の出発点に戻ってくることになる。
2つのワームホールの口の時間が違うのだから、ワームホールを潜り抜けることによって時間旅行が出来ることになる。
そうして出来たワームホールから出てきたのは、ワームホールを移動させた宇宙船でなくて1500年未来の人類だった。1500年未来の人類は宇宙種族のクワックスに支配されているため、その未来を変更するために反乱分子がやってきたのだ。
その反乱分子達は木星星域に居座り、1500年前の人類に援助を求めるでなく意図を隠し沈黙を保っていた。
一方1500年未来のクワックス達は反乱分子が過去に逃亡したことを知り、対応して動きはじめた。
さらに500年未来に通じるワームホールを設置し、未来の知識に援助を求めたのだ。」

反乱分子達がどうやって未来を変えようとしていたかというと。量子論がからんでくるんですが、この量子論ってやつ、なんとなくわかっても、納得がいかんのです。
だって「観測しようが、しまいが、死ぬ時は猫は死ぬ」「観測するまでは猫は半分死んで、半分生きているっていっても、そりゃ唯の屁理屈だろう」「 そんじゃ観測しなけりゃ何も決まらないってのか?(その通りだと作中では言っております)」って私みたいな凡人は思ってしまうんですよ。
量子論が理解できていなくても、きっちり説明されながら話は進むのでちゃんと判ります。いやあ、一大スペクタクルですなあ。
実のところ「最後の一ページ」だけ意味をつかみかねているんですが。
まあいいや、唯のエピローグだから理解できなくても。
ウィリスの「リアルトホテルにて」も判らなかったし、少し量子論を勉強してみよう。


書名 少女マンガ魂
著者 藤本由香里
出版 白泉社(2000/12/20)
分野 その他

最近の少女マンガってのは何読んでいいのか、さっぱり見当もつかないので、ブックガイドとして買ってみたんですが、著者の少女マンガ観が自分が拒絶したくなるようなものだったせいか、(それとも実際今の少女マンガってのは著者が言っているとおりなのか?)、少女マンガを読む気がうせた。
やおいネタは苦手だ。
いいや別に、新しい作家を開拓しなくても。
インタビュー集でもあるので下記のマンガ家に興味のある方はどうぞ。
吉田秋生、秋里和国、高口里純、榎本ナリコ=野火ノビタ、萩尾望都、三浦建太郎、清水玲子、羅川真理茂。


書名 科学博物館からの発想
著者 佐貫亦男
出版 講談社ブルーバックス(1982/10/20)
分野 ノンフィクション

各国の科学博物館の展示方法を紹介して、そこから各国の国柄、人柄を考察している。
著者は生涯を通じて飛行機を愛し続けた人だから9割がた飛行機の展示方法の紹介に費やされている。
何しろ化石の展示で扱っているのも始祖鳥の化石だから徹底している。
というわけで、読者対照は飛行機好きに限られます。飛行機のエッセイストとしては定評のある人だから、面白いのは折り紙付きです。
最後のわが日本の科学博物館はこき下ろされています。
それもこれも、飛行機への愛情からくるものでしょう。
博物館の展示物の写真ももちろん掲載されていますが、実は私が最も惹かれたのは、著者も紙上博物館といって誉めていますが、何枚が掲載されているM・コーニングが描いた航空画でした。博物館の展示物は本物であっても、既に展示物でしかありません。描いた対象が使われている状態で表現されている航空画は、たとえそれが絵であっても、魅力的でした。


書名 野球術 下
著者 ジョージ・F・ウィル
訳者 柴山幹郎
出版 文春文庫(2001/08/10)
分野 スポーツノンフィクション

ポール・アンダースンとゴードン・ディクスンの共著に「くたばれスネイクス」という短編SFがあるのですが、「くたばれヤンキース」をもじった野球小説でもあります。作中にマイティ・ケイシーという選手が出て来るのですが、彼がミュージカルの登場人物らしいと司書の駄弁者さんに教えていただきました。ミュージカルを元に野球小説が成立してしまう。
アメリカの野球文化の奥深さを実感させられました。
この「野球術」もまた野球文化の奥深さを感じさせてくれる本でした。
第三章は打撃術、この章の主役はグウィンです。
グウィンのバッティング理論もさることながら、この章で印象深かったのは、著者の金属バット嫌いです、確かな技術がないとつかいこなせない木製バットを著者が好むのは納得いきますが、「木のバット」は再生可能な資源から生産できることを忘れてはいけないという著者の主張には首をかしげてしまいます。バットをとれる木が育つまで80年かかるといいますし、木が育つスピードよりバットの消費量が多かったら結局自然の破壊につながってしまいます。この主張が国土の狭い日本にもあてはまるかどうか。
もちろんプロ野球の選手には木バットを使用してその素晴らしいバッティング技術を見せてもらいたいと思います。
ですが甲子園と聞いて「キン」という金属音が聞こえるような気がする私としてはあの金属音がおぞましいとおっしゃる著者がどうにも、この部分に関してだけは共感できませんでした。
この章も過去への言及が多かったです、そして大リーグの打撃史がどう変遷し現在にいたるかわかるようになっています、先に書きますが、過去への言及は次章の守備術でも同様で、それが監督術、投球術、打撃術と密接に影響しあっていることがわかります(当たり前か)。

第4章の主役はあの連続出場の世界記録をもつリプケンです、この本のインタビュー時は未だ記録も始まったばかりですが、それでも連続出場については言及されています。
打球を体の正面で捕球するのは嫌いだとリプケンは語ります、それは古手の人には支持されていないようです、ですが、技術は日々進歩するもの、今の日本の若い選手も体の正面で捕球することは好まないようです。人工芝になるなど環境が変わればそれに適応した技術が発達するもの、野球は日々進化し続けているのです。

最終章は結論です。
その中で「どんな記録も、野球の複雑な文脈を勘案して読まなければならない」と筆者は語ります、例えばライアンの奪三振記録は、打者が三振を恥としない時代に投げていることを見逃してはならないそうです。



読書感想目次に戻る 表紙に戻る