カード紹介文

オースン・スコット・カードを紹介した文章を抜粋して紹介してゆきます




 

一兆年の宴のカードについての記述より
掲載 一兆年の宴
筆者 ブライアン・オールディス&デイヴィッド・ウィングローヴ

「カードのヒーロたちは、劇的な変化に遭遇し、より優秀で、より完全な人間になる。カードがきわめて伝統的な手法を使って伝統の破壊活動を行っているだけに、これはいっそう賞賛されてよい。」


この場合のヒーローとは「反逆の星」のラニック・ミュラーや「エンダーのゲーム」のエンダーを指すと思うのですが、最近のカードの主人公についても同じ事が言えるかどうか、どうでしょうか、私には判断つきません。
余談ですが、この「一兆年の宴」はいいSF評論本だとは思いますが、ネタバレ解説が散見されるのは残念な所です、カードの解説についても「エンダーのゲーム」についてネタバレしていますから、要注意です。
(2001/04/07)

 

SFマガジン SF BOOK SCOPE 「地球の呼び声」の書評より
掲載 SFマガジン 1996年5月号
筆者 渡辺英樹

「完全につなぎの一冊というべき内容ではあるが、ゆったりとしたペースで、ストーリー展開よりもキャラクターの掘り下げに力を入れた、読みごたえのある内容になっている。宇宙船の登場と地球への帰還への期待も込めて、一刻も早い次巻の刊行を待ちたい」


待ってますよ、待ってますよ、待ってますよ。


 

SFマガジン SF BOOK SCOPE 「反逆の星」の書評より
掲載 SFマガジン 1992年9月号
筆者 高橋良平

「不死身ばかりでなく数々の能力を身につけてゆく主人公は、キリストに似た癒し手である殉教者にも似る。肉体損傷や暴力など、おぞましさをしつこく描くあたりに聖書を思い浮かばさせ、この冒険の物語の背後に宗教者カードがのぞいている。が、それを疎ましく思うのは、読者によるだろう。」


カードの特色としてあげられることの多い「肉体損傷や暴力」「宗教色の強さ」も「宗教」から発したものだったのか。
(2001/03/28)



 

最新版SFガイドマップ作家紹介より
掲載 最新版SFガイドマップ 作家名鑑編 上(1984)
筆者 ディヴィッド・ウィングローブ編

「彼のこれまでの作品は批評家ジョン・クールトのつぎの言葉で要約されるだろう。つまり「現在までの彼の作品すべての中心にあるものは、容赦ない冷たい技術的洗練である」。そして、作品には、彼のトレードマークを証明するかどうかはわからないが、疑いようのない荒々しさが存在している」


これが書かれた時点では、まだ長編版「エンダーのゲーム」は出版されていませんが、上記の文章はカードの特質として言及される(「宗教色の強さ」を除いて)ほぼ全てを含んでいるようです、宗教色云々といったことは「死者の代弁者」の後から言われだしたことのようです。
(2001/03/27)



 

SFアドベンチャー掲載1985年SF総点検!より
掲載 SFアドベンチャー1986年4月号
筆者 福本直美

「両者とも残酷なシーンや恐怖小説的なものがあるのに作品はどこか日常的に叙情性をたたえている」
「彼ら二人の抒情はごく自然に何となく作品をいろどっている。七〇年代SFの特徴はSFと抒情の結婚にあったのかもしれない」


トム・リーミィの「サンディエゴ・ライトフット・スー」と「無伴奏シナタ」に触れた部分です。
(2001/03/23)



 

SFマガジン掲載「ドッグウォーカー」の解説より
掲載 SFマガジン1990年10月号
筆者 山岸真

「カードには反サイバーパンクの印象が強いのではないでしょうか。カードも人間の暗い面に、むしろ積極的に切り込んでいく作家です、その時にもい、エンターティナーの姿勢を崩しません。サイバーパンクに異を唱えるのは、彼らが小説的完成度よりも、SFとして読者の認識をゆさぶることをはるかに重視する、と過激に主張するからでしょう。そう思ってこの作品をみると、スラングまじりの一人称口語体、才能はあるがシケたハッカーとチンピラ、パスワード破り、回想録風の語り・・・・・・ウィリアム・ギブスンの短編を連想しませんか。これだけサイバーパンク風の意匠を凝らしておいて、カード印のいい味で結末をキメるのだから、さすがです。」 」


この短編も読んでないのでコメントしにくいのですが、「カード印のラスト」とは山岸真氏が言い出した言葉のようですね。
(2001/03/23)



SFアドベンチャーの「無伴奏ソナタ」の書評より
掲載 SFアドベンチャー 1986年3月号
筆者 岡本俊弥

「どの作品も複雑なプロットはなく、構造が単純である。人物の心理描写も、それほど深層に踏み込むものではない。しかし、情感と、無機質さが混交した、”香気”が味わい深い。語感は異質だが、表題作には、最良時のゼラズニイの雰囲気さえ感じられる。なんといっても、軽やかに読んでいける点がよい。同じテーマでも、古い世代のSFなら、こう楽々とは書けなかったろう。70年代SFの、一つの究極点にあるといえる」


甘いです、これほど甘い評価があっていいものかと思ってしまうのは、辛すぎる高橋良平氏の書評の読みすぎか(2001/03/23)



SFハンドブック収録の年代別SF史より
掲載 SFハンドブック 早川書房
筆者 山岸真

「八〇年代はじめに、当時ヒューゴー賞の常連候補だった、この時代の人気作家(レイバー・ディ・ブックと呼ばれる作家たち)の作品に対して、感性に頼りすぎるし。SF的な新しさもないという批判が起きて、これが八〇年代SFの方向を探る試みにつながるかと期待されたこともあったのだが、残念ながら。SFを書き続けることで批判に答えたビショップやオースン・スコット・カードのような作家は、あまり、多くなかったのである。」


ホラーやファンタジー、ノベライズに流れていった作家が多いことを指すのですが、種々の事情があってのことで仕方ないのでしょうか、たまにはSF書いて欲しいものです。特にマーティン。いや・・・関係ないけと水見稜ぉー(2001/03/23)



SFマガジン掲載「辺境」の解説より 掲載 SFマガジン1987年1月号
筆者 オースン・スコット・カード(解説の筆者は伊藤典夫)

「わたしの作品を手にとる読者は、わたしのサイエンス・フィクションにほとんど科学というものがないことにお気づきになるだろう。わたしはこのジャンルが与える自由を、シュチュエーションを生かすために活用しはするが、未来を予測あるいは規定しようとする気はどこにもない。わたしはユートピアや未来テクノロジーの狂想曲を書いているのではない。わたしは現代の流行には興味がないので、ドラッグのことも、ロックのことも、平和運動や核戦争のことも書かない。またわたしは、一般にいわれるような文学的実験もしない。−今日の大半の文学”実験”は、二十世紀初頭における作家たちの失敗を、よりへたくそにくりかえしているだけのことだ」


「辺境の人々」もSFなんだと主張したい私にとっては、「辺境」の解説でこのカードの文章が紹介されるのは、都合悪すぎです。うーむ、いつか「辺境の人々」を再読してSFを見つけてみせるつもり。(2001/03/04)

  
 

SFマガジン 87年ヒューゴー/ネビュラ賞特集解説より 掲載 SFマガジン1988年1月号
筆者 山岸真
「カードはエンターテインメント指向の強い「エンダーのゲーム」によって前年の各賞を制覇していますが、その続編である「死者の代弁者」ではよりシリアスなテーマに取りくんでより高い評価を勝ちとっていました。ここで注目されるのは、まずこの二作ともが異星人との遭遇というありふれた題材を、格別新鮮でも何でもない手つきで扱っていること。もう一点は、やや古風ともいえるモラルを肯定的に描いていることです。この二点がまさにサイバーパンクの主張と正反対であること(サイバーパンクが批判の対象とする作品の特質そのものであること)のお気づきでしょうか。」


このあとアメリアのサイバーパンク運動の解説と合わせて受賞理由が交差っ屡されています。(2001/03/29)


  
 

SFマガジン 86年ヒューゴー/ネビュラ賞特集解説より 掲載 SFマガジン1987年1月号
筆者 山岸真


この年は「エンダーのゲーム」がヒューゴ賞とネビュラ賞のダブルクラウンに輝いた年ですから 受賞作リストにその名前が登場するのは当たり前として、本文中では、エンダーのゲームにただの一言も触れられてないのです。
著者が未だ読んでなかった、もしくは、エンダーのゲームの受賞に異議を申し立てる、山岸真氏の主張の顕れでしょうか、文庫本「エンダーのゲーム」の解説を読むかぎりでは、後者ではないかと思います。
この号を読んだ当時(古本屋で買ったので多分90年代初めごろ)の私は、解説するに値しない愚作に違いないと信じ込み、カードとの出会いは遅れることになったのでした。


  
 

SFマガジン SF BOOK SCOPEより「死者の代弁者」の書評より
掲載 SFマガジン(掲載号不明)
筆者 高橋良平

「多くのSFが人間の変容について語るのに対し、作者はSFの結構の中で人間の基本、論理について語ろうとしている」


「人間の基本、論理について語る」のは言われてみれば「死者の代弁者」の一面を形成しておりますね。だだ私自身は読んでいる時はこの件をこれっぽっちも意識しませんでしたが
(2001/03/04)



SFマガジン SF BOOK SCOPEより短編集「無伴奏ソナタ」の書評より
掲載 SFマガジン1986年5月号
筆者 高橋良平

「この作品は、SFよりも寓話やお伽話のほうに親しい」


この場合著者は「だから、この短編集はだめなんだ」と、主張しているんだと思いますが、それはおいておいて、この短編集に「寓話やお伽話」に近いものを感じることがあるのは、私も同じですね。ピートリーとかスワンを読むとカードに似た感触を感じることがあるのです。
(2001/03/12)


SFハンドブック収録の年代別SF史より
掲載 SFハンドブック 早川書房
筆者 山岸真

「『エンダーのゲーム』の人気の高さは、アメリカの保守化にともなう戦争ものSFの人気の反映でもある。』」

下の高橋良平氏の「エンダーのゲーム」の書評で「強いアメリカ」と紹介されている事とほぼ同じ事が書かれていますね。つまりこういった見方が一般的だということでしょう、「戦争ものSFの人気の反映」は否定しませんが、「エンダーのゲーム」が戦争ものSFであるとは、私は思いません。舞台が軍隊であるだけで、「エンダーのゲーム」には戦争小説の匂いがしないからです。(2001/03/22)



SFマガジン SF BOOK SCOPEより「エンダーのゲーム」の書評より
掲載 不明
筆者 高橋良平

「それよりもぼくが関心をもったのは、エンダーの中にある暴力的なものとやさしさとの拮抗、葛藤、力と祈りといったものの描き方だった。それが結局は殉教的なものであって救済をもたらされるところに違和感をもった。そこに「強いアメリカ」と表裏をなすものがほのみえるし、やさしさのやましさ、疎ましさを感じる。決して一面的でない矛盾にみちた内面描写や物語の語り口のうまさにカードの才能は充分に認めるけれど・・・・・・」


・・・のあとに、「オレはカードが大嫌いなんだー」って、声が聞こえてくるような気がしますが、空耳ってことにしときましょう。
「強いアメリカ」と表裏をなすもの、が何のことなのか。そして「エンダーのゲーム」において、どう反映されていると考えているのか、もうちょっと詳しく知りたいものです。

(2001/03/04)


SFマガジン 掲載の「アメリカ」の解説より
掲載 SFマガジン1987年11月号
筆者 山岸真

「カードの狙いは中南米問題等そのものではなく、あくまでモルモン教的な論理観の世界を追求することにあることがわかります」


この作品が掲載された当時は、カードの宗教色云々はあまり取りざたされていなかった頃ですから、こういった説明も重要です。
(2001/03/01)


80年ヒューゴー/ネビュラ賞特集解説より
掲載 SFマガジン81年7月号
筆者 安田均

「期待の作家の一人だが、多作なだけに作品にムラのあるのが気がかり。しかし、処女作「エンダーのゲーム」"Ender's Game"(一九七七)や。本編のようにノッてるときはすばらしいセンスがうかがえる。じっくり書きこんだ長編が待たれるところだ。」


この号のSFマガジンは「無伴奏ソナタ」が掲載されています。同年3月の「死すべき神々」につづいて2度目の登場となります。
「無伴奏ソナタ」は、第15回ネビュラ賞のショートストーリー部門第2席(受賞はブライアントのジャイ・アント)。第38回SF大会でのビューゴ賞ショート・ストーリー部門第2席(受賞はマーティンの龍と十字架の道)。 「ソングハウス」”Songhouse”がヒューゴ賞ノヴェラ部門第2席(受賞はバリー・ロングイヤーのわが友なる敵)。になっています。
ここで出て来る「エンダーのゲーム」は短編版の方です。
その後執筆された長編群を読んで、安田氏がどんな感想をもたれたか、興味がわいてきます



SFマガジン SF BOOK SCOPEより「アビス」の書評より
掲載 SFマガジン(掲載号不明)
筆者 高橋良平

「「アビス」は「読みやすい」小説の書き手であるカードの本領が発揮されていて、読者を引きこむ良質のサイエンス・フィクションになっている。ただ、やはり、映画を見てから読むことをおすすめする」


映画とノベライズどちらを先にするか、は人それぞれだと思います。私はアビスの場合は小説を先にする方が良いと思います。そうすると映画を見た時、登場人物の心情がよくわかりますし、映画を先にすると、小説を読む気がなくなるかもしれません、映画アビスの場合は・・・。でもあくまで人それぞれです。


SFマガジン SF BOOK SCOPEより短編集「無伴奏ソナタ」の書評より
掲載 SFマガジン1986年5月号
筆者 高橋良平

「ストーリィテリング、キャラクタ造形、エンディング。良い小説たることの必要条件であることは間違いない。しかしSFとして充分条件を満たすものであろうか」「私はこの同じ歳の作家に、どこかアンビヴァレンツなものを感じる」「私にはカードよりも、彼の批評した作家の将来のほうが気になっている」


一ページにわたって書評されていますが、いくら出典を書いてあっても全部抜粋したら、身の危険を感じるので、一部だけの抜粋です。全部読めるようにしてから批評するのが、公平なのでしょうが。
「無伴奏ソナタ」という作品を、それなりに評価してから、SFを読む時の喜びが得られないとして、最後に書評家としてのカードが批判した作家の将来を憂えるという形で結んでいます。嫌いで嫌いでしょうがないのに、読むと面白いため、やけくそで、書評家としてのカードを批判しているといった感じでしょうか。
私個人は「無伴奏ソナタ」は充分SFだと思うとはいっても、高橋氏がSFを読む喜びが得られないと書くのは、高橋氏の感じたことなので、いいでしょう。批評家としてのカードを批判するのは、「無伴奏ソナタ」の書評としては不適切なような気がします。それに、高橋氏自身の書評によって多少なりとも、売れ行きが左右された本もあるはずなので、その言葉は高橋氏自身に返ってゆくと思うのです。
ちなみに高橋氏が将来を心配した作家の名前は。ドゾア、スターリング、(ジャック)ダン、スワニック、キャディガン、ビショップ、ケッセル、ギブスンなどなど。スターリングやギブスンなど最近翻訳が出版された作家もおり、この若手作家たちはなかなか、したたかだったようです。
(2001/02/16)


SFマガジン 掲載の「運命の物語」の解説より
掲載 SFマガジン1989年5月号
筆者 山岸真

「「ソングマスター」や「エンダーのゲーム」のエピローグに見られる筆舌に尽くしがたい感動や、みごとなストーリーテリングの陰で見落としがちだけれど、カードが作中人物に向ける視線は非常に冷静で、時にそれは人間の真の姿を(醜さをも含めて)容赦なくえぐりだす。」「おそらく彼は本編を書いたことで、一皮むけたのではないだろうか」


この短編は読んだことがないので、なんともコメントのしようがありません。
(2001/02/16)


オースン・スコット・カード目次に戻る 表紙に戻る