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環境に配慮した山登り/山を心底楽しむために
−序−
山への思い
山は山の住人が生活する住処
私たち登山者はその庭先におじゃましているに過ぎない

食生態学者で登山家でもある西丸震哉さんの著書にこんなことが書かれていました
(表現は違ったと思います 念のため)

立場を変えて考えてみましょう
今、私たちは山の住人たちから
↓↓ このように思われているかも知れません! ↓↓
また知らないヤツらがワイワイ騒ぎながら庭を通り抜けていく
いいかげんにしてくれよ〜!

 私は山が好きです。特に鈴鹿の山の明るい二次林をこよなく愛する1人です。二次林とは、人間が森とうまく共生出来ていた森です。
 しかし、世の中が便利になるに従って人間社会と自然界との距離は広がる一方で、その結果、自然の摂理を知らない人が増え続けています。
 私自身も山に入るようになってから四半世紀を経過しましたが、言わば「日曜山屋」であり、未だに「本当にこれで良いのだろうか」の繰り返しです。

 『日本百名山』がクローズアップされて以来の登山ブームで、オーバーユースによる山の自然環境の荒廃が叫ばれている昨今、ホンの一握りの人が目立つのだと思いますが、「人間は偉い」と勘違いしている人下界の常識は山の非常識という事を解ろうともしない人が見えます。


 原因の一つとして、中高年と呼ばれる年齢になって山を始めた方の多くは、山についての基本的な認識を得る機会がないまま山に入ってきていることが挙げられます。

 昭和の時代には、まだ山岳部などを経て山に入る方が主流でした。何かと暗いイメージが貼り付いてしまっている山岳部ですが、「山とは本来こんな所」という認識を持つためには非常に重要な役割を果たしていたと思います。
 しかし、そのステップを踏まないまま山に入ってしまうと、どうしても下界の価値観が表面に出てしまい、その結果、安全面、環境面、どちらに対しても不具合が生じてきています。

 厄介なことに、人間社会と自然界との距離が、このことに気づくチャンスを減らしてしまっています。


 山は本来何もない所です。電気がないことなど当たり前。尾根では飲み水にも困ることもあたりまえ。社長さんであろうとお金持ちであろうと、そんな身分は人間社会における人間同士の決め事に過ぎず、自然界では通用しません。これは、電話1本で救急車が来ることが出来ない“山”にあっては、安全確保にも通じる事です。


 私の山での最終目的は、山にとけ込むこと。便利さとは無縁の環境の中に入り込んで、山と語らい理解を深めて山にとけ込む、つまり、生物としての人間となって“山”に信頼してもらう努力をし、本来生物が享受してきた生命力を分けてもらいに行く、それが山登りだと私は思うのです。


 冒頭に記述したのは、私が常に心に留めている基本理念です。「環境に配慮した山登り」は、この理念に基づいて、山に登る者1人1人に何が出来るのか、何をしなければいけないのかを山に登る人に対する呼びかけとして、そして私自身の山に対する認識を深めるためにも、1つ1つ提起していきたいと考えています。

 また、山を始めたばかりの方に対しては、山に臨む場合の心構えやその他アドバイスのようなことをメッセージとして発信していこうと考えています。


 環境問題は、山でなくても山積しており、すべてが複雑に絡み合っています。
 環境と他の何かを比較したとき、短期的には相反するようにも見えますが、長期的に見ればイコールで結ばれることに気付きます。安全や快適さなども然りです。
 すべての1人1人が環境に対する意識を持たなければ改善どころか事態は悪化するでしょう。
 
 このサイトで皆さんが気づくこと、また私に気づかせて頂けること、多々あると思います。ご意見などもお送り頂ければ幸いです。皆さんのご協力をお願い致します。


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