弱く、苦しむしもべが私たちを生かす
             
                                  
イザヤ書53章1〜12節


 クリスマスを待つとは、「救い主を待つ」ということです。旧約の時代、苦難の中を歩んでいたイスラエルの多くの人々は、神のもとから来たるべき 救い主、メサイアの到来を、ひたすら待ち望むようになりました。特に預言者たちは、そのやがて来るであろう救い主の姿を、様々な言葉、仕方、そして様々な イメージで語りました。私たちも、それぞれが何らかの「救い」を求めていると思います。そういう意味で言えば、何らかの意味での「救い主を待っている」と 言っても良いのではないでしょうか。私たちは、はたしてどんな「救い」、どんな「救い主」を待っているのでしょうか。私たちは、「何からの、どんな救い、 助け」を求め、期待し、待っているのでしょうか。
 今日は、「イザヤ書」の「四つのしもべの歌」の最後、「第四のしもべの歌」、第53章です。この「第二イザヤ」と呼ばれている預言者、彼は、「バビロン 捕囚」の苦しみの中にいるイスラエルの人々に向かって、「しもべ」と呼ばれる「救い主」の姿を一つずつ、少しずつ語り、描き出して行きました。それがこれ らの「第一」から「第三」に至る「しもべの歌」であったのです。そして今、その「しもべ」の姿は実に意外なもの、さらには受け入れがたいというほどのもの となっていきました。その極限・極北とも言うべきものが、この53章、「第四のしもべの歌」に記されている「無力と苦難のしもべ」の姿です。

 それは、一言で言って、「弱い救い主」の姿です。これを聞いたその当時の人々は、「えっ―? そんなばかな」と思ったに違いないのです。「だれがわれわ れの聞いたことを信じ得たか」と言っています。なぜなら、常識的な考えに従えば、「救い主は人を救い助ける、人を助けるためには他者よりも力があり強くな くてはならない、だから救い主は強く力を持つ人であるはずだ」となるからです。しかし、ここでこの預言者が指し示す「救い主」の姿は、まさに「弱い」とい うしかないものです。
 それはまず、「生まれたときからずっと異常なまでの苦しみと弱さを負い続ける人」の姿です。「彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように 育った。」「ここでは、僕は『乾いた地に埋もれた根からはえ出た若枝のように育った』といわれています。十分な水分と栄養分を取らずに育つ若枝は、干から びて貧弱で弱々しい姿をしています。この人はその様な弱さを持って育ちました。」(鳥井一夫氏)そのようにして成長した「しもべ」の姿と有様は、こうで す。「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。」「主のしもべには、@『見とれるような姿がない』A『輝きがな い』B『人が慕うような見ばえがない』とあります。面影、風格、容姿においてまさに落第なのです。この世の価値観からすれば、評価すべきものが何一つ『な い』のです。」
 さらにはこのしもべは、人々から軽蔑され、呪われ、見捨てられるのです。「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって 忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。」社会的に何一つ成功を収めることができず、人々の好意をも尊敬をも受けることが できず、むしろ否定と悪意と排除を被っただけなのです。
 そしてついには、その生涯の最後、死においても、それは実に悲惨で不名誉な死でありました。「彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかっ た。」「彼は暴虐な裁きによって取り去られた。」「彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪を なす者と共にあった。」彼を苦しめ傷つけ殺したのは、この世の不正と暴力であり、それを積極的にであれ消極的にであれ担う者たちでした。そして死後も、彼 は「悪い者」として烙印を押され、おとしめられ続けるのです。

 この「無力と苦難の中を、誕生から死に至るまで生きた人」、これがこの一人の預言者が描き出す「しもべ」の姿、そしてあえてはっきり言うならば、これこ そ神によって約束された方、来たるべきメサイア、救い主の姿と道なのだというのです。だから、この章の初めにこう言われているのです。「だれがわれわれの 聞いたことを信じ得たか」。本当に、当時の人々は「えっ―、そんなばかな」と言い続けたことでしょう。けれども、何と言っても「神からの預言者」と言われ る人の言葉ですから、皆もそれなりに受けとめ、考えるわけです。「そうか、そんな人が来るのか、それはいったい誰なのだろう。」色々に考えられました。イ スラエルそのものの苦難の運命だとか、この預言者あるいはその師匠であるとか。それぞれに、それなりにもっともで、理があります。けれども、「これだ」と ぴったり来る人はなかなか現れませんでした。
 そういう中で、あのナザレのイエスに出会い、イエスに従った人たちは、そのイエスの生涯、あのベツレヘムの飼葉桶から始まり、とりわけその最後に歩まれ たあの十字架の道を、復活の光の中で振り返ってみたときに、「これだ」と思ったのです。あの「苦難のしもべ」の姿が、イエスのお姿の中に次第に集中し、収 斂していくのをまさに見て、信じたのです。「これだ、このお方こそ、あのイザヤと呼ばれる預言者が語り告げた『無力と苦難のしもべ』そのものであり、神が 約束し実現されたメサイア、救い主そのものなのだ。」
 ニコデモという人はイエス様に会った時に、「どうしてそんなことがあり得ましょうか」と言いましたが、私たちもきっとそう言いたくなるだろうと思いま す。「どうしてそんなことがあり得ましょうか。」その答えを、預言者は神に導かれて解き明かすのです。「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲し みをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不 義のために砕かれたのだと。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」それらの苦しみ と辱めは、神のしもべ自らが自分の果たすべき使命、受け入れるべき道として受け取り、引き受け、担ったものだからだ。それは、これら預言者たちに当てはま りました。そしてまさにナザレのイエスに間違いなくぴたりと当てはまりました。イエスは、この罪と不正と暴力の世、この理不尽で不条理な世に自らやって来 られて、自ら世の悪と人の罪とをその生涯に引き受け、負い、担って行かれたからです。

 それにしてもわからないのは、無力と苦難、弱さと苦しみをあえて自分が引き受け担うということが、どうして救いの働きと力を持つのか、ということです。 私は思い、また信じるのです。それは、「そこに共感と連帯があるからだ、しかも神の共感と連帯があるからだ」ということです。どんなに力を持っていてそれ で人を助けたとしても、それが「上から下へ」という差別的な関係の中でなされるならば、それはまた新しい上下関係、支配関係を生み出すだけではないでしょ うか。けれども主イエスは、「他者のために自分のはらわたが傷つき、ちぎれる」というほどの「憐れみ」、共感、連帯の思いと生き方と道をもって、その生涯 を人々と共に歩み、生き、そしてついにあの十字架の苦難を引き受け、その道を歩み通されました。それは、神の御子が自ら進んで、愛のゆえに引き受けられた 苦しみであり、私たちのために担い取られた人の罪とこの世の悪であったのです。それは、神の愛と、愛に基づく力とによって引き受けられたものだったので す。だからこそ、それは救いの力を持つのです。私たちが、すべての苦しみと罪にもかかわらず神を求め、それらを乗り越えて神を信じ、神と共に喜びと希望を もって生きることのできる救いと恵みとへ、私たちの命と歩みを転換させる力を持つのです。
 「『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という、イエスの死の時の叫びを聞いた時、私は、わきあがる確信を覚えました。『ここ に、あなたを完全に理解した人がいる、あなたの神への叫びに唱和し、あなたが今、まさにその中にいるのと同じ見捨てられた孤独を感じている人がいる』と。 ―――苦しみのただ中にある神の兄弟、あなたと共に、この死の陰の谷を行く道連れ、あなたを、あなたの苦悩もろとも担う苦悩の友。こうして私は、再び生き る勇気を得ました。そして、『もはや苦しみのない神の広々とした空間』へとよみがえる大いなる希望が、徐々に、しかし確実に、私を捕らえたのです。」(モ ルトマン『わが足を広きところに』より)

 関野和寛という方がおられます。ルーテル教会の牧師で、ユーチューブなどでも積極的に配信をしておられる方です。ロックバンドを作って演奏したり、幅広 い活躍をされています。この関野さんは、以前から、病院などで重い病気の人の魂の配慮と世話をするチャプレンという働きに関心を持ち、アメリカに渡ってそ の研修・実習を受けることになっていました。その渡米の時が近づいた時、図らずも新型コロナウィルスが世界中で大流行を始めてしまったのです。彼は、その 中でもアメリカに渡り、とりわけコロナ感染患者がいる病棟で、病に苦しむ人々、特に死に行く人々のために働くことになります。
 ある日関野さんは、危篤状態にある患者の家族の人に、適切でない言葉遣いをしてしまい、家族たちを怒らせ、より深い悲しみに追いやってしまったと思われ たのです。関野さんは挫折を感じ、自分自身に失望し、深く落胆しました。「結果は散々だった。自分は役立たずどころか、悲しみのどん底にいる家族を不快に させてしまった。『ああ、自分は失格だ・・・・』がっくりと肩を落としてチャプレンオフィスに戻ると、ケンという先輩チャプレンが『どうした』と心配して くれた。ケン自身も若い自分の妻を急死で失った経験がある。その時、『そうか・・・・。俺も妻が死んだ時―――誰かに一緒にいてほしかった。言葉はいらな いから、ただ誰かに横にいてほしかった』ケンが教えてくれたことがすべてだった。」
 このケンとの対話から、関野さんは次の信仰の告白に導かれるのです。「一緒に居続ける、何もしなくても、何も言葉はなくても居続ける。これはイエス・キ リストそのものだ。聖書はイエスの名前をインマヌエル(神は共に居る)と語っている。つまり神が病を患い、傷つき血を流す肉体をまとってこの世界に降りて きて、私たちの生きる苦しみを感じ、自らも十字架にかけられて死んだのだ。チャプレン就任の時に、私たちはこう祈った『神は死にゆく老婆の傍らに、死して 生まれてくる赤子の中に居る。神は居る、手術台の上に、点滴の中にも、軋む車椅子の音の中にも。神は居る、流れる血の中に、塞がらない傷口の中にも』 ―――こんな理不尽な世界に目に見える神などいない。苦しい時に必要な物を与えてくれる神、突然目の前が塞がれた時に道を教えてくれる神もいない。けれど も私が信じる神、イエスは十字架にかけられた神。私たちが病む時に共に病み、罵られる時に共に罵られる、涙する時に共に涙し、そして死にゆく時にこそ一緒 に死んでくれる。それが十字架の上で死んだ神の子イエスだ。」(関野和寛『きれい事じゃないんだ、聖書の言葉は』より)

 私たちも、この「無力と苦難のしもべ」ナザレのイエスに出会うとき、その飼葉桶から始まり十字架に至る生涯から発せられる光に照らされるとき、神が創 り、導き、完成しようとされているこの世界の本質と目標を知らされるのです。それは、パウロが自分の重い病を通して悟らされた言葉でした。「わたしの力は 弱いところに完全にあらわれる。」(Uコリント12・9)そして、苦しみと弱さのただ中でも、なお再び立ち上がり、私たちも、神が私たちに対してしてくだ さったように、そして今もしてくださっているように、共感と連帯の道、共に生き、互いに助け合う道へと促され、押し出されるのです。
 関野牧師はこう信じ語るに至りました。「今日も私は病室に立つ。死にゆく人の前に、泣き崩れる家族の只中に。それでも思う。点滴を代えることができる看 護師が羨ましい。たとえ臨終の宣告でも伝えるべきデータがある医者が羨ましいと。片や私は何もできない、何も言えない。何と歯痒く、虚しく、無力なこと か。だが、何もしないでそっと、ずっとそこに立ち続けることこそ私に任された役割なのだ。そして、無力の中にこそ神は居ることを信じ、私は今日も生と死の 間に立っている。」(関野、前掲書より)
 私たちも、この「無力と苦難のしもべ」ナザレのイエスに出会うとき、その見方、考え方、そして生き方、歩む道が変えられていくのではないでしょうか。 「彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。」(53・ 10)そのような小さな、しかし確かな一歩が、喜びと希望の歩みが踏み出される、そんなアドベントからクリスマスに至る時となりますよう、切にお祈りいた します。

(祈り)
天にまします我らの父よ、御子イエス・キリストによって私たちすべてを極みまで愛された神よ。
 あなたは、預言者の言葉を通して、一人の「しもべ」の姿を語られました。「弱く、苦しみ、無力な救い主」、それがこの「しもべ」でした。この「しもべ」 の姿に、私たちは驚き、つまずきます。けれども、「まことのしもべ」として来られたイエスは、その飼葉桶から十字架に至るご生涯を通して、このことこそ真 理であり、命であり、救いであることを実証し、実現されました。それによって私たちも生かされ、救われています。どうかこの恵みとその力とを証しし、行 い、分かち合っていく一人ひとりまたその教会としてください。まさにそのようなアドベントからクリスマスの時また歩みとなりますよう、豊かにお導きくださ い。
全世界の救い主、すべての人の救い主、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。



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