シモンの十字架、イエスの十字架、あなたの十字架        
                                               
マルコによる福音書第15章20〜32節


 福音書は、イエス・キリストの生涯を描いていますが、また同時にイエス・キリストと人々との出会いを描いているとも言えます。イエスという方がこの世に おいていったい何をなさったのかと問うならば、イエスは一人一人の人と出会って行かれました。イエス様のお仕事は、「人と出会うこと」であったとすら言う ことができると思います。イエスが人と出会って行かれたとすれば、その相手の人にとっては「イエスに出会っていただいた」のです。その一人一人とイエスと の出会いと交流の歴史が福音書には描かれている、と言ってよいと思います。
 ところが、この十字架の場面においては、イエスは、原則的にずっと、全くの孤独であられたのでした。弟子たちは、もう既にいません。彼らは「皆イエスを 見捨てて逃げ去った」のです。ローマ帝国の兵士たちは、イエスを苦しめ、辱め、その尊厳を奪い去りました。「イエスに紫の衣を着せ、茨冠を編んでかぶら せ、『ユダヤ人の王、ばんざい』と言って敬礼をしはじめた。また、葦の棒でその頭をたたき、つばきをかけ、ひざまずいて拝んだりした。」大多数の群衆と、 彼らを先導した祭司長・長老たちは、十字架にかけられたイエスを見て、嘲り、罵るのです。「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。イスラエルの 王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう。」また「マルコによる福音書」においては、左右の十字架につけられた強盗たちまでも が、「イエスをののしった」と言われています。

 しかし、その中でただ一人、ほんの束の間でもイエスと共に歩み、その苦しみを少しでも分かち持ち、一瞬でもイエスと関わりをもった人物がいました。それ は、「クレネ人シモン」という人でした。「彼らはイエスを十字架につけるために引き出した。そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人 が、郊外からきて通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた。」シモンは、ほんのひと時であったかもしれませんが、その時イエスと共に歩 き、イエスの十字架を担いでその重荷と苦しみを分かち持ち、そしておそらくは何かしらイエスと関わりを持ったのです。「主イエスがただおひとりで苦しみの 十字架をかつぎ、悲しみの細い石畳の道を歩まれた時、だれも、主の苦しみを共に味わうことはしなかった。―――そうだ、ただひとりだけ、主の苦しみを共に 味わい、主イエスに向けられたあざけりを自ら引き受けた男がいた。イエスの弟子でもなかったシモンという男は、悔しさと恨みに歯ぎしりながら、しかし、主 のもっとも近くで、主と共に足を引きずって、主の十字架を背負った。―――彼だけが主と苦しみを共にした。イエスの弟子である、イエスを信じる者であると 自称する者たちはだれひとりとしてキレネのシモンに及ばないのだ。」(加藤潔『イエスを探す旅』より)このシモンという男は、いったい何者なのか。彼は 「謎だけど、なぜか気になる人物」として、いろいろな人によっていろいろな形で取り上げられ、語られてきました。そのため、彼については、実に様々な推測 がなされています。
 まずそもそも、「シモン」という名前が分かっている、今に至るまで伝わっているということ自体が不思議なのです。シモンは、ほぼ間違いなく、偶然その場 にいたのです。別に「今日はエルサレムの何々通りに行って、イエスという男の処刑を見物しよう」と予定していたわけではなく、偶然そこを通りかかって、た またまイエスの十字架の道行きに居合わせたのでしょう。そうであるなら、もうそれは「通りすがり」の、「行きずり」の、その場限りの接触に過ぎません。本 来なら、そんな人の名前が分かり、しかも後世まで伝わるはずがないのです。しかし、現に伝わっている。つまりそれは、シモンが、この時だけの関わりでは終 わらなかったということです。「福音書を書いた人々、すなわち初代教会の人々は彼の名前を知っていた。それは彼が初代教会の一員であったことの証拠となり ます。いかにしてか、具体的ないきさつは分からないものの、彼はイエスを信じる者となっていたのではないか。」(加藤、前掲書より)
 さらに、このマルコ福音書では、シモン本人だけでなく、その息子たちの名前まで記されています。「アレキサンデルとルポスとの父シモン」と。これが、先 の推測をさらに強めます。「このことはシモンだけでなく、彼の子どもたち、アレクサンデロとルフォスも初代教会のメンバーで、人々によく知られた人物であ ることを示しています。つまり、シモンは一家をあげて教会に加わっていた、そのように想像して大きな間違いはないと思います。」(同上)そのきっかけは、 間違いなく、ここでのイエスとの出会いです。このように、イエスの十字架を代わりに担ぐことになったのが、その運命的な出会いであり、彼と彼の周りの者た ちがイエス・キリストへの信仰へと導かれる決定的なきっかけとなったのです。

 そして今日、特に私たちが注目したいと思うのは、これがこの時、シモンにとっても、彼自身の十字架、「シモンの十字架」であったということです。「十字 架」というのは、よく「苦しみ」の象徴的表現として用いられます。それも、ただの苦しみではありません。理不尽な苦しみ、不条理な苦しみ、到底理解するこ とも受け入れることもできないような苦しみ。人間としての尊厳や権利を乱され、侵され、奪い去られたような苦しみ。その意味で、これは、「イエスの十字架 を、代わりに一時的にちょっと担いだ」ということに留まらず、「シモンの十字架」、彼自身が理不尽にも不条理にも負わされた、彼自身の苦しみであったと言 えます。
 彼の出身地クレネは、地中海の南岸、アフリカの北部です。そこから、なぜ彼はこんなに遠く、地中海で言うなら東の果てエルサレムまで来ていたのでしょう か。これはあくまでも推測ではありますが、おそらく「出稼ぎ」に来ていたのではないでしょうか。少なくとも、遊びや楽しみの「観光旅行」ではありません。 経済的に恵まれない「辺境」から、生きて行くのが大変な境遇の中から、慣れない「外国」に働きに来ていたのではないでしょうか。おまけに当時は、ローマの 「徴用」というものがありました。ローマ帝国内で生活している者は、ローマ国家が必要とした時には、こちらの都合や気持ちは関係なく、有無を言わさず、し かも報酬もなく、いきなり労働や作業に駆り出される。ローマの兵士や役人が、その権力をかさに着て、「おい、お前」という形でやらせられるものでした。イ エス様の「山上の説教」にそのことが示唆されている言葉があります。「もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら」。主にローマの兵士 などが、急に誰かを呼び止めて、「おい、お前、これを担いで一マイル歩け」と、武器や荷物を運ばせるのです。この時も、イエスが連続連日にわたる厳しい尋 問と拷問のため、体も心もぼろぼろに弱り、十字架をろくろく担げないで、ふらふらと歩き、ついには倒れてしまいそうということで、「誰かに代わりに担がせ よう」となり、「おい、お前、かつげ」とシモンが呼び留められ、駆り出されたのでしょう。
 しかも、誰でも駆り出されたわけではなく、相手を選んだと思います。例えば、その場に、明らかに「ローマの貴族」とか「金持ちの商人」と分かるような服 装の者がいたら、その人には声を懸けないでしょう。シモンは、特に「外国人」「アフリカ出身」「出稼ぎ労働者」とすぐわかるような外見、いでたちをしてい たのではないでしょうか。そこで兵士たちは、「あいつなら徴用して、十字架を担がせてもかまなわい」と判断して、シモンを呼びつけたのではないでしょう か。だから、彼は「悔しさと恨みに歯ぎしりながら」、この十字架を担いだのだと言われるのです。その意味で、これはまさに「シモンの十字架」でした。彼自 身の理不尽な苦しみ、不条理な苦しみ、自分の尊厳と人権を奪われるような苦しみであったのです。
 しかしそれが、シモンの、イエス・キリストとの出会いとなりました。彼は、この出来事をきっかけとして、イエス・キリストと出会い、イエス・キリストを 信じ、まさにイエス・キリストに従い、主と共に歩む者となったのです。「シモンの十字架」は、まさに「イエスの十字架」そのものであったのです。シモンの その苦しみが、まさにそこにおいてイエスの十字架、イエスの苦しみとつながっているのです。シモンは自分の苦しみにおいて、イエスと出会い、イエスとつな がり、イエスを信じるに至ったのです。それは、どのような出会いであったのでしょう。それは、分かりません。でも、信仰によって推測や想像はできます。 「シモンはこの時、イエスの十字架を背負うことによって、自分がイエスにとってかけがえのない存在となったことを知ったのではないか。イエスはシモンに たったひとこと『ありがとう』と言われたのではないか。そのひとことのゆえにシモンは自分が単なるモノでもなく、道具でもなく、この愛の人イエスにとって のかけがえのない存在であることを感じたのではないか。すなわち人間存在としての誇りと喜びを生まれてはじめて知ったのではないか。」(加藤、前掲書よ り)そのようにしてイエス・キリストは、このシモンと、その苦しみにおいて、その「十字架」において出会い、また彼とつながり、彼と共におられるのです。

 このシモンと同じ経験を、まさにアフリカ系のアメリカ合衆国の住民たちがさせられてきたと言います。彼らは、アメリカにおいて、ずっと、生まれた時から 死ぬ時まで差別され、人権を侵害され、尊厳を奪われ、さまざまに苦しめられ、時にはリンチにあって殺され、まさに「木にかけられた」と言われます。「想像 してみてください。自分の身に覚えのないことでリンチされることを。男たちがあなたを隠れていた所から引きずり出して捕まえ、町の中心に連れて行き、あな たの首にロープを回してあなたを焼き、その間、男たち、女たち、そして子供たちが、あなたが痛みと嘆きで苦しんでいる真っただ中で冷やかしているので す。」(ジェイムズ・H・コーン『十字架とリンチの木』より)そのような苦しみの中で、「彼ら自身の十字架」において、彼らはイエスと出会い、「イエスの 十字架」をも経験し、イエスを信じて行ったのでした。「可哀そうな少年イエスは、飼い葉桶の中に生まれさせられた。この世は彼を卑しんだ。そして私をも卑 しんでいる・・・・彼らは主に鞭を振り上げ、主に振り下ろした。彼らは主を町中で鞭打った。ごらん、彼らがわが主にしたことを。」(アフロアメリカン・ス ピリチュアル「Were You There?」より)
 この世の理不尽な、そして不正な苦しみ、それはまぎれもない悪です。その真実は明らかにされ、その責任者は責められ、裁かれるべきです。しかし苦しみ、 「十字架」の中で、彼らはイエスとの出会いを見出し、十字架の意味と十字架についての洞察・信仰は決定的に深められたのです。「初めて福音のメッセージを 聞いた奴隷化された黒人たちは、十字架の力を把握した。十字架につけられたキリストは、黒人の生の中の諸矛盾の中に存在する神の愛と解放の現臨を示してい た。―――神の終末論的未来においては、彼らは自分たちの苦難がどんなに大きく、痛みに満ちたものであったとしても、『この世の悩み』に負けることはない と信じる力を、彼らに与えた。―――そこには誇れる者や力ある者、つまり、神は他者を支配するために自分たちを選んだと考えている者の場所はない。十字架 は、権力――白人権力――に対する、敗北の中から勝利を掴み取る無力なる愛を用いての、神の批判であった。」(コーン、前掲書より)

 「シモンの十字架」は、また同時に「イエスの十字架」であった。イエス・キリストは、まさに「シモンの十字架」において、彼のその苦しみにおいてシモン と出会い、シモンと関わり、シモンと共におられたのです。それはまた「あなたの十字架」、「私たちの十字架」でもあるのではないでしょうか。私たちが、こ の世界で日々に遭遇し経験する、理不尽な苦しみ、不条理で不正な苦しみにおいても、まさにそこでこそ私たちはイエスにお会いするのではないでしょうか。私 たち、それは私でありあなたであり、またこの世に生きるすべての一人一人、遠くの、また近くの一人、また一人のことです。そのような私たちが経験する、こ の世の不正な悪、それに引き起こされ、否応なしに引き合わされてくる苦しみにおいて、十字架のイエスは私たちと共におられる、いてくださるではないでしょ うか。そしてイエスは、そこにおいて私たちと出会い、私たちと共に歩み、私たちと共に生きてくださるのではないでしょうか。そのかけがえのないイエスとの 出会いの中から、シモンと共に私たちも、私たちの信ずべき信仰、そして自らの歩むべき使命と道と人生についても知らされ、示され、教えられて行くのではな いでしょうか。

(祈り)
十字架のイエス・キリストにおいて、私たちと出会い、私たちを招き、私たちと共に生きられる神よ。
 この主の十字架の道、その苦しみについて、今私たちは思いを向け、思いを深め、あなたへと向かいたいと切に願います。どうか、この受難節、私たち一人一 人と教会を、とりわけ深く問い、正し、またお導きください。その出会いの中から、私たちが歩むべき道と果たすべき使命が示され、そこへと向かわされますよ うに。
まことの道、真理また命なるイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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