生まれる前から神さまに                    エレミヤ書第1章1〜10節


  「預言者は代表である」ということを、以前にお話ししました。「預言者というのは、すべての他の人間の代表である」というのです。「預言者」と呼ばれる人 は、他のすべての人を代表して主なる神の御言葉を聞き、他の人を代表してその言葉を預かり、またすべての人の代表しまたかれらに向かって御言葉を語るので す。
 そしてそれは、ただ「言葉」だけのことではなく、「関係」においてもそうなのです。「預言者は、関係においても、他のすべての人を代表す る。」つまり、預言者と神様との関係はまた、他のすべての人間の「代表」でもあるのです。預言者は、他のすべての人間にとってもまた、本来あるべき神様と の関係を示し、語り、生きるのです。

 今日の所は、イスラエルの代表的預言者であるエレミヤが、神様から呼び出され、初めて預言者として任命される場面です。ですからここでは、当然神様が最初エレミヤに呼びかけておられます。そしてエレミヤは、何よりもその神の御言葉を聞くのです。
  そうして預言者エレミヤが、すべての人を代表して聞いた神の御言葉は、驚くべき根源的呼びかけの言葉でした。「主の言葉がわたしに臨んで言う、『わたしは あなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした』。」
  なぜ、「驚くべき」と言うか、それはこれが人間の知識と想像を超えているからです。「あなたをまだ母の胎につくらないさきに」と言います。「生れてから ずっと」なら、わかります。「お母さんのお腹にいる時から」なら、少し感動しつつ、まあわかります。しかし、「まだ母の胎につくらないさきに」なのです。 人間的には存在の何の実態も、予兆すらありません。そんな時からその人を知っていたと、親しく詳しく知っていたと、神は言われるのです。実に驚くべきこと ではありませんか。
 また、なぜ「根源的」と言うか、それはこれがまさに人の「根本の根本」「源の源」「始まりの始まり」を告げているからです。 私たちは、いったいいつから「わたし自身」のことを知っていたでしょうか。実を言えば、私たちは自分の誕生の時を知りません。その時には何もわからなかっ たのです。それでも、自分の始まりとして、誕生を思い浮かべ、イメージし、そこに自分の始まりを感じ考えることはできます。他の人については、もっとその 知る所は少なくまた遅いでしょう。しかしいくら自分自身でも、そこが限界です。それ以上の「根源」「始まり」は、考えることができません。しかし、主なる 神は、「それ以前」を知っている、それ以上「その先」・「その前」がないそこから、私を、あなたを、またすべての人を知っておられるというのです。
  それは、まさに詩篇の詩人が驚きと感動をもって歌う通りであります。「わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合されたとき、わたしの骨はあなたに 隠れることがなかった。あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、 その日はことごとくあなたの書にしるされた。神よ、あなたのはもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょ う。」(詩篇139・15〜17)イエス・キリストの伝道者パウロもまた語りました。「母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召 しになった方が」(ガラテヤ1・15)。そしてそれはまた「こどもさんびか」が、単純にしかし極めて深く歌う通りなのです。「生まれる前から神さまに愛さ れてきた友だちの誕生日です、おめでとう。」(『こどもさんびか』80番「うまれるまえから」に基づく)「この神の語りかけを聞きなさい」と言われている のです。

 この神の驚くべき、根源的な呼びかけの言葉、それはどのような内容を持つ言葉なのでしょうか。
 何よりもまず、それは 「選びの言葉」です。「選び」とは、神様が選ぶのです。「選ぶ」と言うと、何か恣意的なものを想像してしまうかもしれません。でも、そうではありません。 その意味は、そこには人間的な意志や願いまた選択は、一切関わっていないということなのです。また、そこには人間的なまたこの世的などんな能力や基準、持 ち物や階層、特性や立場もまた関係ない、ということなのです。そういうこと一切に関わりなく、神は、ただ神御自身の意志、御心、ご計画に基づいて、それに 従って、すべての人を、一人一人違ったように、それぞれにふさわしく呼び、招かれます。それが、「神の選び」なのですエレミヤが、「母の胎につくらないさ きから」、こうして神によって選ばれ、そして呼ばれ招かれたように、わたしも、あなたも、私たち一人一人も、それぞれが神によって選ばれ、呼ばれ、招かれ ているのです。

 だからこそ、それはまた「愛の言葉」「恵みの言葉」です。人間的な能力や基準、価値また持ち物によらないのであれば、そ れはいったい何に基づくのか。それは、神の意志、思い、しかも神の愛の思い、神の祝福の心、神の恵みの意志によるのです。「主の言葉がわたしに臨んで言 う、『わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り』。」この「知る」を、別の翻訳ではこう表現しています。「私はあなたをいとしい者と して知った」。「いとしい者として」「愛する者として」「共に生きる者」「共に喜び共に泣く者」として知り、愛した、と神は言われるのです。同じエレミヤ 書には、こんな言葉もあります。「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた。」(エレミヤ 31・3)
 この神の愛は、エレミヤの時代には、まだ十分に知られていませんでしたが、今や私たちは、それをはっきりと知っています、いえ、知ら されています。それは、イエス・キリストによる神の愛です。「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それに よって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のため にあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」(Tヨハネ4・9〜10)

 そしてそれはまた、「使命の言 葉」、「固有の使命・生き方・道へと招き呼び出す言葉」となるのです。そのようにエレミヤを選び、愛し、呼びかけた神の御言葉は、さらにこのように続きま した。「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とし た。」「だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、あなたに命じることをみな語られなければならない。」神の選びと愛、それは人を使命へと呼び出し、 招き、立てるのです。神が選び愛するその人には、あなたにも、神が願い命じられる使命・働き・道があるのです。あなたでなければできない、あなたであって こそできるしすべきである、その生き方と働き、またそのための道があるのです。そしてそれは、人間の側から言うならば、その神の呼びかけと招きに答えて生 きる人生とその道があるのです。また、私たちが神の声、神の言葉に聞き、それに答えて生きようとするときに、それを支え助け導く、神の愛と支えまた導きが あるのです。「彼らを恐れてはならない。わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」。
 エレミヤはこれを聞いて、慌て、ためらい、恐れ ます。「その時わたしは言った、『ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません』。」無理もありません。これほど驚く べきまた根源的な言葉、徹底的に人間の知恵と想像を超えた言葉を聞いて、簡単に信じ受け入れ聞けるものでありません。しかし、そうした人間のためらいと恐 れを超える、神の愛の知恵があるのです。「しかし主はわたしに言われた、『あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。―――わたしがあなたと共にい て、あなたを救うからである』。」

 日本で初めて、自分が同性愛者であることを公表した上で牧師となった平良愛香という先生がおられます。平良牧師は、年若い頃自分がそのような性的指向を持っているというとで大変悩み、苦しまれました。
  「『僕はこれからどうやって生きていけばいいのだろう』これから先、同性愛という自分のセクシュアリティと向き合って生きて行くための答えが、手がかりが ほしかったのです。―――キリスト教の学校に通っていたので、救いを求めて図書館にあるキリスト教の本もたくさん読んでみました。そこで出会ったのは 『罪』という言葉でした。―――解説の本には、同性愛は罪であり『神の秩序に反する』とか『審判のときには裁かれて地獄の炎で焼かれる』などと書かれてい たのです。僕はものすごく怖くなりました。―――自分は忌まわしい存在なのだろうか?と思うようになり、『生きていてはいけない』と言われたような気がし ました。生きていること自体が罪なのだ、と思いました。―――どうやって生きるのを断念したらいいのか、どうやって自分の命を終わらせようか、そんなこと を考え始めたのがこの時期でした。―――心の拠りどころであるはずのキリスト教が僕から生きる道を奪い、僕の逃げ道を奪い、僕という存在をただただ責めた てるのです。キリスト教は同性愛者である僕を苦しめました。しかし、命を終わらせてしまおうとまで思い詰めていた僕を死ぬことから思いとどまらせてくれた のもまた、キリスト教でした。子どもころから両親に言われてきた言葉が僕の胸の内で響きました。『神様はあなたをあなたとして造ったのだから、精一杯あな たらしく生きていきなさい』『世界中の人が敵になったとしても、イエス様だけはあなたの味方だから』―――世界中の人が僕を受け入れなくてもイエスだけは 最後まで味方でいてくれる、だからもう少しだけ生きてみよう、そして僕が同性愛者として造られたのはなぜなのか神に問い続けよう、納得のいくところまでと ことん問い続けよう、そう考えるようになったのです。」(平良愛香『あなたが気づかないだけで神様もゲイもいつもあなたのそばにいる』より)

  「生れた時から神さまに」、「神様はあなたをあなたとして造ったのだから、精一杯あなたらしく生きていきなさい」「世界中の人が敵になったとしても、イエ ス様だけはあなたの味方だから」、それは神の根源的な愛と選びそして招きの言葉です。他でもないこの御言葉が、私たち一人一人にも語られ、呼びかけられて いるのです。そして、私たち信仰者一人一人とその教会は、この神の愛と選びの言葉の証人として、それを代表して聞きまた語る預言者的使命へと呼び出されて おり、また送り出されて行くのです。

(祈り)
天におられる私たちすべての者の神よ、御子イエス・キリストによって私たちを極みまで愛された神よ。
  あなたはエレミヤに語りかけてくださったように、私たち一人一人にも、驚くべき根源的な言葉をもって語り、呼びかけ、招いてくださいます。「わたしはあな たをまだ母の胎につくらないさきに、あなたをいとしい者として知った」。そしてこの言葉を、イエス・キリストによって確言し、確証し、確立してくださいま した。
 どうか今、私たち一人一人がしっかりとこの御言葉を聞き、聞き取り、信じることができますように、あなたの助けと導きを切にお願いいたし ます。そして私たちキリストの体なる教会を、この言葉を受けて、語り、分かち合う証人また僕としてここから、それぞれの場へと送り出し、豊かにお用いくだ さい。
まことの道、真理また命なる世の救い主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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